自彊術(じきょうじゅつ)とは、大正5年(1916年)に手技治療師だった中井房五郎(1878年 - 1931年)によって創案された健康体操。実業家の十文字大元(1867年 - 1924年)を治療して快癒させたことがきっかけで、十文字が後援し世に広められた。十文字は、「周易」の「天行健、君子以自彊不息」から、自彊術と命名した。戦争によって一時期普及が途絶えていたが、戦後になって久家恒衛・近藤芳朗医学博士・吉田誠三医学博士等によって再び世に広められた。現在「自彊術普及会」「近畿自彊術友の会」「健康と長寿の会」などの団体が普及に努め、全国に教室があり多くの会員がいる。自彊術は31の動作で構成されており、硬くなった関節をほぐし、歪んだ骨格を矯正し、血液の循環を活発にするとされる。たくみに「はずみ」や「反動」を利用して体を動かすので、動作は大きいものの肉体的には疲労がほとんど伴わない体操である。女優の淡島千景など多くの有名人も、この運動を体験したことがある。第1動より第31動迄の動作説明と図解は[ 中井房五郎著「自彊術」] を参照。中井房五郎は、大正5年(1916年)に自著「自彊術」を出版している。国立国会図書館の[ 近代デジタルライブラリー]でこの本を見ると、31の動作が挿絵入りで解説されている。当時は、上半身裸で行っていたことがうかがえる。また、動作説明の後に、この体操を行う時と日常生活の注意事項も書いているが、現代においても充分参考になる内容である。この本の序文を十文字大元の同郷である後藤新平が書いている。後藤は、板垣退助が岐阜で襲われたときに診察した医師であり、また、関東大震災のとき、内務相であった彼が地震の5日後に「帝都復興院」を設置し、自ら総裁に就き、内務省から優秀なスタッフを引き抜き、猛烈なスピードで復興案を練り上げ尽力したことでも知られている。この序文で、病は薬に頼らず自分の治癒力で治せと書いている。また、拓殖大学の学長時代には、校内に「自彊会」をつくっている。近代デジタルライブラリーには、大正9年に出版された漢学者 松平康国著[ 「予の実験せる自彊術」]もあり、こちらは、自彊術の性質効果、これを行うときの注意などを松平自身の体験から記述している。この本の序文は、大隈重信が書いている。序文のなかで、自らが己の病を治す自彊術は、人間社会の罪悪は社会自らが救済する能力を持っているという彼の政治観と符合するところがあると述べている。松平は、東京専門学校(後の早稲田大学)の講師をしていたので、その関係から大隈が書いたのであろうか。十文字大元も早稲田大学で自彊術の講演を行っている。上記2冊の本の序文を、当時の著名人が書いているのをみても、当時の自彊術が、いかに社会的に認識されていたかを窺い知ることができる。
出典:wikipedia
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