1972年の広島東洋カープのユニフォームは1963年にフルモデルチェンジされた通称Hマーク(※帽子のマークにHマークが採用されていた時代のユニフォーム)ユニフォームの最終形デザインで1972年にマイナーチェンジされたものを指す。翌1973年に初代のCマークユニフォームを採用したためこの年で消滅。最終形である当該ユニフォームは便宜上短命ユニフォームとして扱った。ユニフォームはボタン止め式で色はホーム用が白、ビジター用がグレー。帽子、アンダーシャツ、ベルト、ストッキングの色が紺、スパイクが黒のラインなし。1972年のデザインと前年までのデザインの相違点は以下の通り。この年広島はアメリカアリゾナ州ツーソンで初(現在のところ球団史上唯一)の海外キャンプを実施した。1968年に就任した根本陸夫監督はチームに染み付いたBクラス体質の一掃に心血を注ぎ、就任一年目にはチームを初のAクラス(3位)に浮上させるなど結果を残したが、翌年以降は再びBクラスに低迷。そこでこの年、1969年に最下位からワールド・シリーズを制して初の世界一に輝いた「ミラクル・メッツ」こと大リーグ・ニューヨーク・メッツにあやかって、メッツデザインのユニフォームにマイナーチェンジした。しかし、不慣れな海外キャンプのためか肝心の調整に失敗。開幕から低空飛行を続けて立ち直れないまま最下位でシーズン終了。根本監督は「このキャンプが失敗ならば俺は責任をとって辞める」とキャンプイン前に宣言していたがその言葉通りシーズン途中で休養の後辞任した(※休養後森永勝也コーチが監督代行)。ちなみにこの年広島は日系人以外では初の外国人選手を獲得しているが、その一人ソイロ・ベルサイエスは「ユニフォームのデザインが20年古い」と文句を言う等、評判も今ひとつだったのか、マイナーチェンジ版はわずか1年で封印された。広島のHマーク版ユニフォームは1963年のフルモデルチェンジ以降1971年まではホーム用のデザインは上記デザインにマイナーチェンジされるまで一貫していたがビジター用は幾度かマイナーチェンジを繰り返している。マイナーチェンジは以下の通りである。
出典:wikipedia
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