メルセデス・ベンツ・CLRは、メルセデス・ベンツが1999年にル・マン24時間レースのLMGTP規定に沿って開発したレーシングカー。1998年、メルセデスは、CLK-GTRの発展型であるCLK-LMでル・マンに出場するが、トラブルによりレース開始後2時間ほどで全滅という大敗を喫してしまう。そして1999年、CLK-LMをさらに発展させたマシンとしてCLRは開発された。AMGのV8・NAエンジンを搭載し、ボディはCLK-LM譲りのロングテールやメッキグリルなどの特徴を残しつつ、空力を徹底的に重視して限界まで低く設計された。ル・マンには3台が投入された。なおLM-GTPはGTカーではなくあくまでも「プロトタイプ」としてのカテゴリーに位置づけられていた為、この車輌のロードカーは存在しない。ル・マンに持ち込まれたCLRは、その強烈な印象と洗練されたスタイルにより優勝候補マシンの一角として期待されることとなった。しかし、予備予選では関節部の強度不足が原因でサスペンションが破損するアクシデントが起こり、予選2日目においてはマーク・ウェバーが搭乗する4号車がミュルサンヌとインディアナポリスの間で突如フロントから浮き上がり離陸するという事故が起こる。離陸し、宙を舞った4号車は後向きに回転しながら後部からアスファルト路面に叩きつけられた。幸いにもウェバーは無事だったが、CLRは信頼性に疑問を持たれることとなった。CLRは修復され、決勝日朝のウォームアップに臨んだ。ダウンフォースを増すよう改良を施したにも関わらず、またも4号車がミュルサンヌ手前で舞い上がった。回転しながら屋根から仰向けに路面に叩き付けられたマシンは大破し、修復不可能となった。この二度目の事故でウェバーは膝を負傷、そのまま決勝出走を断念する事となった。それでもメルセデスは残る2台を決勝に出走させることを決め、フロントに更なる離陸対策として左右に2枚のカナードを装備した。しかし、付け焼刃的な対策で問題が解消できる物でなかった事を実証する三度目のアクシデントがメルセデスチームを襲う事となる。決勝レースの76周目、ユノディエールと並んでコースの中でも最高速が出るエリアでもあるインディアナポリスのコーナー手前の直線区間で、トヨタのTS020を追っていた3位走行中の5号車が、4号車と同じように舞い上がり、空中で回転しながらコース脇の林に落下した。5号車の事故現場は緩やかな凸形状をしており、その坂頂点を越えたあたりで、通常は車体上部を通過しダウンフォースを生み出すはずの気流が一気に車体底部へ流れ込んだため起こった。これには、すぐ前を走っていたTS020のスリップストリーム、もしくは乱気流の影響が少なからずあったとみられる。現場付近にはブリヂストンのポールが建っており、これに衝突することが無かった、また落下地点が林を広範囲に渡って伐採した跡で立ち木への衝突が回避された事、さらに仰向けに落下しなかった事は不幸中の幸いだった。この事故の直後、メルセデスは残る6号車を呼び戻しレースを棄権した。なお、ドライバーのピーター・ダンブレックは軽傷を負ったのみだった。そしてこの後、メルセデスのチーム監督ノルベルト・ハウグは予選、フリー走行、そして決勝の事故によって大方の原因は見当がついていた為、各方面から批判の矢面に立たされる事となる。この事故の様子はTV中継などを介して世界中に配信され、大きな衝撃を与えた。この事故は、市販車であるAクラスやMクラスにおける欠陥や品質の問題と並んで、メルセデスのブランドイメージの低下に拍車をかけた。また、FIAは原因を調査し、原因は複合的なものであるという結論を出したが、マシンの設計に根本的な問題があることは明らかであった。またカーデザイナーでこのときテレビ朝日の中継で解説を務めた由良拓也は、レース中のメルセデスCLRの異常なピッチング(小刻みな上下振動)を指摘していた。メルセデスCLRは空気抵抗を減らすため極限まで低められたボディを持つが、そのため十分なサスペンションストロークが取れなかった上に、前後のオーバーハングが極端に長かったためにフロントのダウンフォースが大きめであるためフロントサスが固く、トラクション確保のために柔らかくされたリアサスと相まってピッチングが起きやすい状況であり、数度程度鼻先が持ち上がった状態から一気に離陸してしまった。(『Racing On』Vol.412より、由良拓也BBSのファンの書き込みによる)また、最初のアクシデントが発生した後からベルント・シュナイダーがフロント側のダウンフォース不足から来る乗り心地やコントロール性の悪さを指摘していた他、その後からドライバーが続々フロントのダウンフォース不足を指摘していた。さらにレース中外部から見てもわかるピッチングからポーポイズ現象を起こし、その上マシンのスリップストリームに入った事からマシンのフロント側のダウンフォースが急激に減少、さらにリアウイングによるダウンフォースによってバランスが崩れ(二度目のアクシデントはブレーキングによるマシンの挙動不安定という要素もあった)、マシン下部に大量の空気が押し込まれたために発生したということが、事故後にメルセデス・ベンツが独自に立ち上げた調査チームとル・マン24時間レースの主催者であるフランス西部自動車クラブ(ACO)、更にこの事故の重大さを受け止めた国際自動車連盟(FIA)によって最終的に突き止められた。またピッチングの要因については、それまでのCLK-GTRやCLK-LMでは装備されていたサスペンションのピッチングを抑制するサードダンパーが、ダウンフォースよりもトップスピードを極端に重視して薄く低く設計されたフロントノーズ形状の影響を受け、サードダンパーを取り付けるスペースが確保できず、サードダンパーそのものが最初から取り付けられていなかった為にピッチング自体が抑制できていなかった構造上の欠陥であったこと、さらに空力については従来AMGのムービングベルト式風洞を使用して、走行状態における空力を解析するはずが、諸事情によって風洞を使用する事ができなかったため、止む無くシュトゥットガルト大学のムービングベルトの無い風洞を借りて風洞実験を行うことになった為、走行時でのダウンフォースを煮詰めることが出来なかったという決定的な空力的欠陥が起きていたことも明らかとなった。ちなみに、二度目のアクシデント後にノルベルト・ハウグは各ドライバーに「スリップストリームに絶対に入るな」と指示をしているが、一部公道コースを使用しており道路幅が狭くかつ数多くの車両が同時に走行しているルマン24時間レースにおいて、この指示の遂行は困難であった。事故後、メルセデス・ベンツはル・マン24時間レースから撤退、現在に至るまで復帰していない。ル・マン・サルトサーキットも事故が二度にわたって発生したミュルサンヌコーナー手前の丘を高さ8m程の高さに削り、勾配を抑制する等の対策工事を行うこととなった。1998年型ポルシェ・911 GT1も、前年秋のALMS"プチ・ル・マン"開幕戦のロード・アトランタで、ヤニック・ダルマスの駆るマシンがフロント部分から浮上し宙を舞う事態に見舞われている。これらの事象によって、レーシングカーの航空力学を見直す動きが活発化し、レギュレーションの改定が行われた。それらによる改善を図ったにも関わらず2000年の"プチ・ル・マン"では、今度はウィリアムズが開発したBMWのワークスマシンが宙を舞う事態が起きている。なお、唯一宙を舞わなかった6号車のみがドイツのメルセデス・ベンツ・ミュージアムにて保管されている。後にある自動車コレクターの手に渡り、時折イベントなどに姿を見せているが、走行させる際は浮上事故を起こす危険を回避するため「絶対にレーシングスピードで走行させないこと」という条件の元に走行している。
出典:wikipedia
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