ジャスティン・トルドー(、1971年12月25日 - )は、カナダの政治家。2013年からカナダ自由党党首、2015年から第29代カナダ首相を務める。第20・22代首相ピエール・トルドーとその妻の長男。ジャスティンは英語読みであり、フランス語読みではジュスタン・トリュドーと発音する。オンタリオ州オタワ出身。初代カナダ首相ジョン・マクドナルドの末娘マーガレット・マクドナルドに次ぐ、在任中のカナダ首相の子として生まれた史上2番目の人物である。誕生日は、弟のアレクサンドル(1973年生)と同じ12月25日。1977年、ジャスティン6歳のときに、両親のピエールとマーガレットが離婚する。1984年、ピエールがカナダ首相を辞任する。子供のプライバシーを守るという父ピエールの方針により、モントリオールの親類宅で育った。マギル大学(モントリオール)で英文学、ブリティッシュコロンビア大学で教育学の学位を取得する。その後、ブリティッシュコロンビア州で教鞭をとる。マギル大学大学院で、地理学を専攻した。2000年、ピエール・トルドーの国葬の際に、28歳になったジャスティンは人々の記憶に残る追悼スピーチを行った。1998年に弟のミシェルがスキー旅行中に雪崩で死亡したことをきっかけに、冬季の安全に関わる社会運動を行うようになる。2003年、カナダ放送協会のラジオで毎年行われる「」(パネリスト5人が各選書を推薦し、その中から最優秀選書を決める)で、ジャスティンが推薦したのは、(ニューファンドランド州を1949年にカナダ連合加入まで導いた同州の政治家)の実話を元に描いた歴史小説 (著、1998年)だった。2005年5月28日、モデルでテレビタレントのと結婚した。カナダ・メディアのパーソナリティーとして活動した元カナダ首相の子供数人のうちの一人で、他には、、ジャスティンの弟アレクサンドルがいる。父ピエールとブライアン・マルルーニーは長年の政敵だったが、息子同士には交流があるらしく、ジャスティンの結婚式にベン・マルルーニーは出席している。2006年9月17日、ダルフール危機対策へのカナダの参加を求めるため、トロントのラムスデンパークで行われた集会を主催した。2006年10月25日、CTVのニュース番組『』で、国家としての認識されることを求めるケベック人たちをどう思うかと問われ、「ナショナリズムは思考範囲の小ささから出来るもの」と答えた。この発言は、ケベック州を国家として認めさせようとする、同じ自由党のマイケル・イグナティエフの姿勢を批判したものと受け取られた。で、トルドーはを支持した。ケネディは第2回投票で、前環境大臣のに敗れた。2006年自由党党首選挙以降、政界進出が噂され始めた。当初、モントリオールのが自由党の強力な地盤であり、同時に交通大臣のが辞任し政治評論家になることから、トルドーの出馬する選挙区として有力視されたが、2007年2月22日に、同じモントリオールのパピノー選挙区での自由党党予備選出馬を表明した。パピノー選挙区での自由党党予備選は2007年4月29日に行われ、トルドーは690票で、次点のメアリー・デロスの350票、バシリオ・ジョルダーノの220票を押さえ圧勝した(候補に選ばれるには634票が必要だった)。予備選勝利によりトルドーは、2008年10月に行われた2008年のカナダ連邦選挙で、ブロック・ケベコワ(ケベック連合)の現職議員ビビアン・バルボと争い当選した。パピノー選挙区では、50年以上自由党議員が選出されてきたが、2006年にブロック・ケベコワに初めて議席を奪われていた。2013年4月、自由党の党首選に立候補したジャスティンは、大差で当選した。当時、自由党は党勢が低迷しており、2011年の総選挙では下院第3党にまで後退し、マイケル・イグナティエフ党首が落選するような状態であった。元首相の息子でありルックスも良いジャスティンは、自由党の党勢回復の切り札的存在として大きな期待を集め、党首に選出された。党首として迎えた最初の下院総選挙である2015年10月の総選挙では、下院解散当初は野党第1党の新民主党が保守党・自由党の支持率を上回っていたが、10月になると自由党が支持を伸ばし、結局自由党が184議席を獲得して圧勝した。ジャスティンは支持者を前に「今夜歴史を作ったのは私ではなく、皆さんです」と演説した。ジャスティンは党首選出時の党員の期待に応え、約10年ぶりの政権奪回に成功した。2015年11月4日、ジャスティンは第29代首相に就任した。新内閣の組閣に際しては、首相を除く閣僚の男女の人数を同数とした。 ボクシングを趣味としており、首相就任以前には左肩にタトゥーを入れ、鍛えた肉体を誇示するポーズをとった写真が話題になったこともある。量子コンピューターに詳しい。国家に仕えるためにはワーク・ライフ・バランスが必要であると強調している。第42回先進国首脳会議(伊勢志摩サミット)を前に来日していた2016年(平成28年)5月25日には公務を1日休み、妻とともに三重県の青峰山を登り、山頂付近の正福寺境内を散策するなどして結婚記念日に合わせた休暇を楽しんだ。LGBTへの理解がありストレート・アライであることが有名である。毎年100万人超が参加するカナダ最大の都市トロントのプライドパレードに2015年に参加し、2016年度の参加も表明している。フェミニストを公言するトルドー氏は組閣の段階で、閣僚の男女比を同じにした。さらにゲイやハンディキャップを持つ人を大臣に任命するなど、偏りの少ない風通しのいい国政を実践している。カナダ首相となったトルドーの机の上には、8000ページを超える書類が置かれていた。TPPの協定内容が書かれた書類である。トルドーの選挙公約には、TPPのメリット・デメリットについて議会で議論させることも含まれている。2015年11月にフィリピンで開かれたAPECにおいてアメリカ大統領バラク・オバマは、TPPは労働者と環境を保護するための協定だと述べた。しかしトルドーはTPPに関して注意深く、批准までにTPPを調査する必要があると述べた。トルドー内閣は自由貿易を支持しながらも、ハーパー政権によって合意に至った事項すべてを了承するわけではない。TPPには極めて議論の残る項目も含まれている。「カナダ国民はこの協定がどの産業にどのような影響を与えるかを知るべきであり、我々は十分な公開討論を開くであろう」とトルドーは語る。カナダの財界はTPPを推進している。トルドーは、公務員をパートナーだと考えている。トルドーは「カナダ人が大事と思うような公的サービスをつくるため、また公的サービスに従事する人々の誇りの源泉をつくるため、カナダ政府が公的サービスを重視しなくてはならない。まずは公務員の労働権利を尊重する必要性や、効率的で独立したプロのサービスをカナダ人に提供できる能力が公務員にあるのだと信じる必要性(の認識)から始めようではないですか」と述べた。2015年11月のパリ同時多発テロ事件では約130人の死者が出た。その実行犯にはシリアからの難民に紛れて欧州に入り込んだ者も含まれていた。選挙期間中トルドーは、シリアからの難民を受け入れるとしていたが、難民に紛れてテロリストも入国するおそれがあり、カナダ国民の約半数は性急な受け入れには反対している。シリアからの難民のうちカナダが許可するのは家族、独身女性そして子供であり、安全上のリスクとみなされる独身男性は排除される見通しとなった。およそ12億カナダドルを費やして、ヨルダンやレバノンなどでキャンプ中の難民をカナダに入国させる。
出典:wikipedia
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