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平田信

平田 信(ひらた まこと、1965年3月27日 - )は、オウム真理教の元幹部。北海道札幌市出身。ホーリーネームはポーシャで、教団が省庁制を採用した後は「車両省」に所属した。オウム真理教事件実行犯の1人として、警察庁に特別指名手配被疑者に指定され、長期間逃亡していた。逮捕監禁罪(公証人役場事務長逮捕監禁致死事件)、爆発物取締罰則違反(島田裕巳宅爆弾事件)、火炎瓶処罰法違反(オウム真理教東京総本部火炎瓶事件)で起訴された。初公判は2014年1月16日に東京地裁で行われた。一連のオウム真理教事件では初めて裁判員制度によって審理されることとなった。また、一連のオウム事件では初めて被害者参加制度が利用され、公証人役場事務長逮捕監禁致死事件の被害者の長男が出廷して証言をした。同年1月21日の公判では、オウム真理教元幹部で地下鉄サリン事件などで死刑が確定した中川智正が出廷して証人尋問を受けた。同年3月7日、判決公判で東京地裁は懲役12年の求刑に対し、懲役9年の実刑判決を言い渡した。同年3月20日、一審の判決を不服として東京高裁に控訴したが、2015年3月4日に東京高裁は一審の懲役9年の判決を支持し、控訴を棄却する判決を言い渡した。同年3月17日、最高裁へ上告した。 2016年1月13日付で、最高裁第3小法廷は上告を棄却し、懲役9年の刑が確定した。逃亡中の平田を匿っていたのは3歳年上のオウム真理教元信者の女性で、14年以上にわたって大阪府内でともに生活していたという。福島県出身で、1980年代に東京で看護師の資格を取得、のち勤務していた病院を1993年に退職したうえでオウム真理教へ入信、教団の「治療省」に所属していたものの、1995年の地下鉄サリン事件後に行方がわからなくなっていた、という素性の人物であった。検察によれば、元教団看護師にあたるこの女性は、1995年に平田の誘いで逃亡生活に入って以後、東北地方を転々としたのち、1996年に大阪市へ、さらに1997年から東大阪の整骨院に偽名で勤務しながら平田の生活を支え続けていたという。出頭時点の潜伏先は東大阪市内のマンションで、同所が捜索を受けた際には、米国のドラマシリーズ『LOST』や、米国のテレビドラマ『24』、米国映画『ハリー・ポッター』に加え、日本のアニメ映画『秒速5センチメートル』など、計7本のレンタルDVDが見つかっており、いずれも平田のためにレンタルされていたものと見られた。2012年に犯人蔵匿罪で1年2ヶ月(求刑懲役2年)の実刑判決。同年にはこの2人の逃亡生活をモチーフとした映画『愛のゆくえ(仮)』(監督:木村文洋)が公開されている。指名手配容疑の犯行時の公訴時効について、逮捕監禁致死罪は7年・爆発物取締罰則違反罪は15年である。しかし、刑事訴訟法第254条2項で「共犯の1人に対してした公訴の提起による時効の停止は、他の共犯に対してその効力を有する。この場合において、停止した時効は、当該事件についてした裁判が確定した時からその進行を始める。」と規定されているため、公証人役場事務長逮捕監禁致死事件については共犯の中川智正の裁判が、島田裕巳宅爆弾事件については共犯の井上嘉浩の裁判が、それぞれ終了するまで公訴時効は停止し、2010年4月の刑事訴訟法改正で逮捕監禁致死罪の公訴時効が20年に延長となり、平田の指名手配容疑の公訴時効は停止・延長という形になっている。なお、中川の裁判が2011年12月9日に、井上の裁判が2010年1月12日に確定したことを受けて、刑事訴訟法第254条2項の規定が適用されなくなったため公訴時効が進行することになった。以上の経緯により、平田の指名手配容疑は、公証人役場事務長拉致監禁致死事件の逮捕監禁致死罪は2031年に(実際に起訴した逮捕監禁罪では2016年)、島田裕巳宅爆弾事件の爆発物取締罰則違反罪は2024年10月に、公訴時効が成立することになっていた。

出典:wikipedia

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