紋別郡(もんべつぐん)は、北海道(北見国)オホーツク総合振興局の郡。以下の5町1村を含む。滝上町・興部町・西興部村・雄武町は西紋と呼ばれる場合がある。1879年(明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、概ね上記5町1村に紋別市を加えた区域にあたる。後に常呂郡との間で境界変更が行われている。現存する日本の郡では最も面積が大きい。江戸時代の紋別郡域は西蝦夷地に属し、当初は松前藩によって開かれたソウヤ場所に含まれたが、後にモンベツ場所が新たに分立した。江戸時代後期になると、南下政策を強力に進めるロシアの脅威に備え文化4年紋別郡域は天領とされた。文政4年には一旦松前藩領に復したものの、安政2年再び天領となり会津藩が紋別に出張陣屋を築き警固をおこなった。同6年の6藩分領以降は会津藩領であった。戊辰戦争(箱館戦争)終結直後の1869年8月15日、大宝律令の国郡里制を踏襲して紋別郡が置かれた。
出典:wikipedia
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