ジョージ・ガービン(George Gervin, 1952年4月27日 - ) はアメリカ合衆国の元バスケットボール選手である。ABA、NBAで活躍した往年の名選手である。フィンガーロールを武器に1970年代後半から1980年代前半のサンアントニオ・スパーズの黄金期を支え、スパーズの5回のディヴィジョン優勝の原動力となった。1996年にバスケットボール殿堂入りした。ガービンは地元のマーティン・ルーサー・キング高校を1969年に卒業すると、ロングビーチ州大学に2年、東ミシガン大学に2年在籍した。高校時代はアメリカ高校代表メンバーにも選ばれた彼は、大学でも1972年にアメリカ学生代表に選ばれる。イースタンミシガン大学在籍の2年間で12,044ポイント、ゲーム平均26.8ポイント、14.4リバウンドをマークし、彼の背番号24番は1986年1月22日に永久欠番になる。大学卒業後の1972年にABAのバージニア・スクワイアーズに入団する。スクワイアーズではあまり出場時間はなかったが、ABAルーキーオールチームに選出される。その後、1974年に当時ABAに所属していたサンアントニオ・スパーズに移籍した。スパーズ移籍後はチームの中心選手となり、ゲーム平均20ポイント以上を獲得し2年連続でオールスター出場、オールセカンドチーム選出された。ABAは1976年に解体されるが、スパーズはそのままNBAに編入され、以後ガービンはNBA所属の選手となる。ABA解散時に解体することなくそのままNBAへ編入したスパーズであったが、ガービンを中心に最初の黄金期を築きつつあった。スパーズは5回に渡って地区優勝しプレーオフの常連となり、強豪と呼ばれるチームになった。ガービン自身も4回得点王に輝き、1980年にNBAオールスターゲームのMVPを獲得するなどチームの「顔」となっていった。NBA史上で4回以上得点王を受賞したのはウィルト・チェンバレン、マイケル・ジョーダン、アレン・アイバーソン、ガービンの4人だけである。ガービンは引退前の1年をシカゴ・ブルズで過ごしたが、10年以上にわたってスパーズを牽引した。キャリア平均26.2ポイントというNBA歴代8位の記録を残して1986年にガービンは引退したが、その後はヨーロッパに渡りイタリアやスペインでプレーをした。1996年にNBA史上最も偉大な50選手に選出され、同年に殿堂入りした。ガービンはコート上では動揺を顔に出さず、表情を変えない選手だった。闘志を内面に秘めて黙々とプレーをするため、「アイスマン」のあだ名で呼ばれ、相手チームに恐れられた。逆にチームからは頼りにされチームの精神的支柱ともなり、また、スパーズを代表する選手として多くのスパーズファンに愛された。強いスパーズを象徴する選手として"提督"デビッド・ロビンソンとともに今でもファンに愛されている。ガービンもサンアントニオを愛し、引退後はサンアントニオに居を構え、「"ジョージ・ガービン・ユースセンター (George Gervin Youth Center)" 」を設立して若者を数多の危険や誘惑から救おうという活動を続けるなど、コミュニティに貢献している。弟のデリック・ガービンもNBA選手で1989年から1991年までニュージャージー・ネッツで72試合に出場した。得点、リバウンド、アシストの成績は下記の通りである。
出典:wikipedia
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