ティム・シルビア(Tim Sylvia、1976年3月5日 - )は、アメリカ合衆国の男性総合格闘家。メイン州出身。チーム・エクストリーム所属。ブラジリアン柔術茶帯。元UFC世界ヘビー級王者。2メートルを超える長身から繰り出すパンチを主体とした打撃を得意とする。高校からレスリングを始め、卒業後はアマチュアのトーナメントに出場するなどしていたが、観客として入場した2000年のUFC 28でパット・ミレティッチの勧誘を受けたことがきっかけでアイオワ州に移り、ミレティッチの元でトレーニングを積んだ。2002年9月27日、UFCデビュー戦となったUFC 39ではウェズリー・コレイラを打撃で攻め立て、2RでTKO勝利。2003年2月28日、UFC 41の世界ヘビー級タイトルマッチでリコ・ロドリゲスと対戦し、パウンドによるTKOで破り、参戦から5か月で王座獲得に成功した。2003年9月26日、UFC 44でガン・マッギーと対戦し、パウンドでTKO勝ち。王座の初防衛に成功するも、試合後のドーピング検査で陽性。10月15日、ネバダ州アスレチック・コミッションでの公聴会でステロイド使用を認め、9月26日から4か月の出場停止処分および7,500ドルの罰金を受けた。この処分を受け、自らUFC王座を返上することを発表した。2004年6月19日、UFC 48の世界ヘビー級暫定王座決定戦でフランク・ミアと対戦。ミアの腕ひしぎ十字固めで右前腕を骨折して見込み一本負けを喫し王座獲得に失敗した。2005年2月5日、UFC 51で、正王者ミアの交通事故による怪我によって制定された暫定王座を懸けてアンドレイ・アルロフスキーと対戦。開始直後にパンチでダウンを奪われ、1ラウンド47秒でアキレス腱固めで一本負けを喫し王座獲得に失敗した。2006年4月15日、UFC 59で王者アンドレイ・アルロフスキーと再戦し、パウンドでTKO勝ちを収め王座獲得に成功した。同年7月8日のUFC 61では挑戦者となったアルロフスキーと三度対戦し、3-0の判定勝ちを収め王座の初防衛に成功した。2007年3月3日、UFC 68の世界ヘビー級タイトルマッチでランディ・クートゥアと対戦。序盤で右ストレートを喰らいダウンを奪われ、その後はペースを掴まれ続けて判定負けを喫し王座から陥落した。10月20日、UFC 77でブランドン・ヴェラと対戦。体格差を利用して終始圧力をかけ続け、3-0で判定勝ち。2008年2月2日、UFC 81のUFC世界ヘビー級暫定王座決定戦でアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラと対戦し、1Rではパンチでダウンを奪うが、3Rにフロントチョークで一本負けを喫し王座獲得に失敗。ファイト・オブ・ザ・ナイトを受賞した。2008年7月19日、Affliction旗揚げ大会「」のWAMMA世界ヘビー級王座決定戦でエメリヤーエンコ・ヒョードルと対戦し、パンチでダウンを奪われ、チョークスリーパーで一本負けを喫し王座獲得に失敗した。2009年6月13日、Adrenaline MMA 3で元WBO世界ヘビー級王者レイ・マーサーと対戦し、開始9秒右フックで失神KO負けを喫した。2010年5月21日、「Moosin(武神)」でマリウシュ・プジアノフスキと対戦。サイドポジションからのパウンドでギブアップ勝ちを収めた。2010年8月14日、PWP世界ヘビー級王座決定戦でポール・ブエンテロと対戦し、2R終了間際に右アッパーをヒットさせてTKO勝ちを収め王座獲得に成功した。2012年8月31日、ONE FC 5にてアンドレイ・アルロフスキーと対戦。2Rにアルロフスキーのパンチでダウンしたところ、そこにすかさずアルロフスキーがサッカーボールキックを2度放ちシルビアが完全に倒れるが、反則であるためアルロフスキーにイエローカードが出される。当時のONE FCはルール上、サッカーボールキックは特定の条件の場合に蹴ってもいいというやや不可解なルールであったため、アルロフスキーの蹴りは条件を満たしていない状態での蹴りゆえに反則であった。しかしインターバル後もシルビアは試合が続行出来ずノーコンテストとなった。2012年12月31日、INOKI BOM-BA-YE 2012で石井慧と対戦し、0-3の判定負けを喫した。2015年1月3日のReality Fightingでジュリアーノ・コウチーニョと対戦予定だったが、MRI検査で問題が出たためライセンスが発行されず欠場となり、1月5日に健康面の不安を理由に引退を表明した。
出典:wikipedia
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