星 孝典(ほし たかのり、1982年5月4日 - )は、宮城県名取市出身の元プロ野球選手、野球指導者。シーズン限りで現役を引退。2017年シーズンから、埼玉西武ライオンズの二軍育成コーチを務める。投手だった兄の影響で、小学校1年生の時に、捕手として下増田ブラックホークスで野球を始めた。中学3年生の時には、宮城県大会の決勝戦で、後に横浜DeNAベイスターズへ入団する後藤伸也が所属していたチームと対戦。相手のスクイズを3回連続で外すなどの好プレーで、優勝に貢献した。仙台育英高校への進学後は、2年生の夏に第81回全国高等学校野球選手権大会、3年生の夏に第82回全国高等学校野球選手権大会の全国大会へ出場。いずれも2回戦で敗れている。高校卒業後に、地元の東北学院大学へ進学。4年生だった2004年には、仙台六大学野球の秋季リーグ戦で打率.529を記録するとともに、捕手部門でベストナインに選ばれた。ちなみに、後に西武でもチームメイトになる岸孝之投手は2年後輩で、在学中にもバッテリーを組んでいた。2004年のプロ野球ドラフト会議で、読売ジャイアンツ(巨人)から6巡目で指名。契約金6,500万円、年俸720万円(金額は推定)という条件で入団した。背番号は38。には、イースタン・リーグ公式戦37試合に出場。2本塁打、11打点、打率.293という成績を残した。一軍公式戦への出場は2試合だけだったが、10月4日の対広島東洋カープ戦(東京ドーム)に「8番・捕手」としてスタメンでデビューを果たすと、翌5日の同カードで一軍初安打を放った。には、一軍公式戦7試合に出場。5打数1安打(二塁打)という成績を残したが、シーズン終了後に背番号を58へ変更した。・には、いずれも二軍生活に終始。二軍では、チームの捕手で最も多く、イースタン・リーグの公式戦へ出場した。には、一軍公式戦9試合に出場したが、無安打でシーズンを終了。以降は、一軍公式戦への出場機会がなかった。5月9日に、埼玉西武ライオンズが、星を金銭トレードで獲得したことを発表した。背番号は61。5月21日の対中日ドラゴンズ戦(西武ドーム)で、自身2年振りの一軍公式戦出場。チームの正捕手だった銀仁朗が右手人さし指の骨折で8月11日に戦線を離脱すると、翌12日の対オリックス・バファローズ戦(京セラドーム大阪)でスタメンに起用された。この試合では、フル出場で4安打を放つとともに、一軍での自身初打点を挙げている。さらに、銀仁朗が復帰した9月以降も、菊池雄星以外の投手が先発した試合でスタメンマスクを任された。一軍公式戦全体では、出場試合数(40)や安打数(16)などで自己最多の成績を残したばかりか、盗塁・得点・三塁打も初めて記録。その一方で、イースタン・リーグ公式戦にも22試合へ出場したが、1試合で三塁手に起用されている。には、背番号を25に変更。一軍公式戦への出場は29試合のみで、代走から捕手や指名打者に入ることが多く、7月30日以降は出場機会がなかった。には、公式戦の開幕を初めて一軍で迎えると、チームの捕手では炭谷銀仁朗に次いで40試合に出場。ただし、9月19日の対北海道日本ハムファイターズ戦(西武ドーム)では、一塁手として試合の途中から出場した。一軍公式戦で捕手以外の守備に就いたのは、現役生活を通じてもこの試合だけであった。には、前年に続いて開幕から一軍に入った。しかし、出場試合数は11試合だけで、一軍公式戦に出場したチームの捕手では最も少なかった。その一方で、イースタン・リーグ公式戦では、一塁・二塁・三塁の守備にも就いた。以降は二軍生活に終始。イースタン・リーグ公式戦では、一塁手として起用されることもあった。5月に右手有鈎骨鈎の除去手術を受けたが、10月7日に球団から戦力外を通告されたことを機に、10月11日に現役引退を表明した。2017年からは、西武で二軍育成コーチを務める。星自身は、「野球の指導者になることが、人生の大きな目標だった」とのことで、球団の打診を受けてからわずか3時間でコーチ就任を決断したという。2012年5月10日の対楽天戦の同点で迎えた8回裏、捕手として守備に就いていた星は、タッチアップによる本塁上のクロスプレーがセーフと判定されたことを不服として球審の森健次郎に抗議したが、その際に森の体に触れたことが暴力行為とみなされ退場処分を受けた。なお、この試合西武は既に星以外の捕手が全員退いていたため、高校時代捕手の経験があった外野手の星秀和が「急造捕手」としてその後の守備に就いた。好きな言葉は「堅守賢運(けんしゅけんうん)」、「諦めたら終わり」。巨人史上初の「星」姓の選手であったことから、入団当初は「巨人の星」という触れ込みで注目された。また、在籍中のホームゲームでは、打席に入る際の登場曲に「ゆけゆけ飛雄馬」を使用していた。巨人時代の2007年1月18日に、高校時代の同級生との結婚を発表。2008年11月18日に長女を授かった。2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震に伴う津波の被害で名取市にあった実家が全壊、そこで暮らしていた祖父母が流され、後に死亡が確認された。なお震災にあたり星は、チーム(巨人)の選手のメッセージを集めたビデオレターを被災地の避難所に届けることを提案、被災地に援助物資を届けたり、被災者のための募金活動や、この年に春の甲子園大会に出場予定だった宮城県の東北高校の選手に数珠を作って贈る活動に参加するなど、被災者支援活動に尽力した。ベンチスタート、もしくは途中交代した時など、試合に出場していない時はベンチでノートをつけている。これは西武移籍時に始めたとのこと。強肩と送球の素早さが特徴。巨人入団時にテレビ番組で、捕球から2塁到達までのタイムが1.8秒でプロでもトップクラスの数字、と紹介された。また同番組内で遠投は100m程度と本人が発言していた。巨人時代は一軍出場は数えるほどしかなかったが、西武に移籍してきてからは一時は2番手捕手になるなど出場試合を増やしている。
出典:wikipedia
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