稲垣 重富(いながき しげとみ、延宝元年(1673年) - 宝永7年4月17日(1710年5月15日))は、江戸時代前期の大名。三河刈谷藩3代藩主、上総大多喜藩主、下野烏山藩初代藩主。鳥羽藩稲垣氏4代。三河刈谷藩第2代藩主稲垣重昭の長男。正室は木下俊長の娘。子に昭賢(長男)、昭辰(次男)。官位は従五位下、和泉守。貞享5年(1688年)、父の隠居により刈谷藩主となる。徳川綱吉政権下では、元禄12年(1699年)から宝永6年(1709年)まで若年寄を務めていた。元禄15年(1702年)、刈谷藩から上総大多喜藩に移封されたが、わずか21日間で城地が狭すぎるという理由で下野烏山藩に移ったとされる。宝永7年(1710年)に38歳で死去し、長男の昭賢が跡を継いだ。
出典:wikipedia
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