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野長瀬三摩地

野長瀬 三摩地(のながせ さまじ、1923年8月30日 - 1996年5月23日)は、日本のテレビ監督、脚本家。京都府京都市出身。別名:南川 竜、南川 龍。父は大正画壇で活躍した野長瀬晩花。伯父はトピー工業創業者の一人である野長瀬忠男。野長瀬氏の末裔で、本名の三摩地は仏教用語のサマディー(三昧)にちなんで名付けられた。幼少より父に連れられてよく映画を観に行き、映画制作の道を志す。1946年に日本大学芸術学部映画学科を卒業し、東宝に入社。渡辺邦男、青柳信雄、本多猪四郎らの助監督を務め、主に杉江敏男監督作品に従事。黒澤明監督の『蜘蛛巣城』『どん底』(1957年)、『隠し砦の三悪人』(1958年)ではチーフ助監督を務めた。1957年に、『生きものの記録』(1955年)のロケを行ったデパートに務めていた女性と結婚。仲人は稲垣浩。映画界が斜陽の中では監督昇進の機会が回って来ず、1964年、逸早く映画界に見切りをつけ、東宝テレビ部に移り、テレビ監督に転身。メロドラマ『銀座立志伝』で監督デビュー。東宝で偶然再会した円谷英二に誘われて円谷プロダクションの『ウルトラQ』に監督として参加。以降、特撮番組に携わり、『ウルトラマン』『ウルトラセブン』などの初期のウルトラシリーズでは多数のエピソードを監督、南川 竜(もしくは南川 龍)名義で脚本も執筆(中には自身が監督、または共同脚本)。『ウルトラセブン』撮影中に親しい映画関係者から「このままでは子供番組のレッテルを貼られる」との忠告を受け、これに反発しながらも円谷プロダクションを離脱した。その後は東宝テレビ部へ復帰して現代劇や時代劇を手掛けた。後年では『円盤戦争バンキッド』や『メガロマン』などの特撮作品にも参加したが、脚本の弱さを嘆いていたという。第2期ウルトラシリーズには不参加であったが『ウルトラマン80』に参加した。1982年8月に東宝を退社。その後はフリーの監督として記録映画などを撮ったほか、母校である日本大学芸術学部の講師も務めた。90年代には、体力の衰えなどから映画撮影の現場を退いていた。1995年末から歩行困難になり入院し、1996年5月23日に死去。。

出典:wikipedia

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