化女沼レジャーランド(けじょぬまレジャーランド)は、かつて宮城県古川市(現・大崎市)にあった遊園地。化女沼の東側にある。第二次世界大戦中の仙台空襲で焼け野原となった同県仙台市の惨状を少年時代に見た地元の不動産会社経営者が、故郷を活気付けようと田圃等を転用して数十億円かけて整備し、1979年(昭和54年)に「化女沼保養ランド」として開園した。最盛期には年間20万人(30万人とも)ほどの来園者がいて大崎地方では人気の遊園地となり、野外ステージでは人気ロックバンドなどのコンサートも行われた。バブル崩壊によるレジャー不振によって来園者が激減し、2001年(平成12年)10月に休園。休園後の2003年(平成15年)に温泉掘削に成功したが、温泉宿泊施設として再開することなく未利用のままとなっている。元運営者の「化女沼を一大観光地に」という夢を受け継いでくれる人が現れるまで撤去しないという方針により、遊具や温泉、土地などを分割売却せず元運営者が所有し続けている。実質的に廃墟状態であるが、かつての従業員が定期的に園内の清掃等を実施しており、閉館時のまま保存されている化女沼お姫館や宿泊施設などは機械警備等で維持管理されている。無許可での侵入・撮影は禁止であるが、許可をとって映画やミュージック・ビデオのロケーション撮影に用いられたり、コスプレイベントの会場として利用されたりしていた。2011年(平成23年)1月、NHK-BS「熱中スタジアム」および「熱中人」において、『廃墟熱中人・鹿取茂雄さん』が放送され、2015年(平成27年)1月30日にもNHK BSプレミアム「新日本風土記」で取り上げられると、国内だけでなく英国タブロイド紙「デイリー・メール」を初め海外でも紹介されるようになり、「廃墟マニアの聖地」とも呼ばれ、見学ツアーも催行されるようになった。2016年(平成28年)9月、鹿取がツイッター上で元運営者に頼まれて当園の売却先を公募(希望価格5億円)していることが分かると、様々なマスメディアで取り上げられ、話題になった。化女沼にはその名前の由来に関わる様々な伝説があるが、廃墟となった当園は心霊スポットともみなされ、日本のテレビやオーストラリアのマスメディアも取材に訪れている。入口は宮城県道266号化女沼公園線沿いにある。園内は、化女沼の湖周道路の大崎市道化女沼東線から望むことが出来る。
出典:wikipedia
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