伊藤 公一(いとう きみかず、1935年9月6日 - )は、日本の法学者。専門は憲法学・教育法。大阪大学名誉教授。元帝塚山大学理事・法政策学部長・研究科長・教授。法学博士(大阪大学、1982年)(学位論文「教育法の研究」)。伊藤公一は、大阪大学法学部教授であった覚道豊治の弟子にあたる。伊藤の憲法学の研究姿勢は、中庸に基づいた公正と正義の究明にある。伊藤公一博士の研究業績のなかでも顕著なものとしては、教育権の所在のあり方を憲法前文、26条1項、26条2項、89条などの法令を論拠に究明してきた点があげられる。 教育権の所在をめぐる論争は、昭和30年代に入って熾烈をきわめた。いわゆる国民の教育権説と国家の教育権説の論争である。国民の教育権説の立場をとる学者の数は多い。それは、国家の教育権説に対抗するということを共通の目的として様々な観点から立論を試みたからでもある。これに対して国家の教育権説は、論者により立論の仕方、理由付けなど多少の違いはあるものの全体として一貫性を保った学説ということがいえる。同説の代表的な学者としては、田中耕太郎博士、相良惟一博士、伊藤公一博士が挙げられる。なかでも国家の教育権説の論を現在のわが国の教育行政の指標として完成させたのが伊藤公一博士である。伊藤博士の国家の教育権説は、公教育においては、国が教育制度を整備する最終責任を負っているとする。ただ、同博士は、国が責任を負っているといっても教育の内容のすべてに国がかかわる必要はないと考える。その例として教科書検定制度についても、国に代わる機関があるなら、その機関に委任することも可能であるし、教科書検定制度自体行なわなくとも教育の中立性が保たれて、適切・中正な教科書が確保されるのであるならば、国は教科書検定を行わずにすむと考える。また、国が教育内容に責任を有するとしても、一定の限界があり法的に広く強く介入することは許されないとし、親や児童・生徒、教員などの公教育の関係者の裁量をできるだけ広く認めることも必要であるとする。このようにみてくると、公教育にかかわる国家のあり方を分析した同博士の国家の教育権説は、決して国家や国家権力の拡大や尊重を前提としたり、目的としたものではなく、むしろ、多くの子どもが、偏向し、誤った組織や勢力から正しく中正な教育を保障していくうえにおいて、国家という各人の意向が行き着いた組織にその責任を負わすのが最適と考えるのである。教育権論争が正面から争われた裁判事例としては、旭川学力テスト最高裁大法廷判決がある。同判決は、「二つの見解(学説)はいずれも一方的であり採用できない」という判断が示されるが、有倉遼吉博士によれば、同判決の本質は国家の教育権説であるという。このことは、最高裁はいわゆる国家の教育権説も国民の教育権説も採用しないとしながらも、その実は、国家の教育権説に立脚しているということがいえる。それは、中庸の視点から教育権のあり方を究明した伊藤博士の学説を判決のなかに取り入れたともいえる。その後、家永第一次教科書訴訟における最高裁第三小法廷判決、教科書検定第三次訴訟最高裁判決や伝習館事件へと同大法廷判決の判示を踏襲していくのである。わが国の教育行政庁においても、上記最高裁判例と国家の教育権説の考え方を指標として現在に至るまで教育行政を執り行っている。
出典:wikipedia
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