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小野崎氏

小野崎氏(おのさきし)は常陸国久慈郡小野崎(現在の茨城県常陸太田市)に興った氏族。本姓は藤原氏。従四位下鎮守府将軍藤原秀郷を祖とする武門で、代々常陸国守護代を勤めた。天仁2年(1109年)、秀郷の玄孫である通延が太田郷の地頭に任ぜられ、太田城を築いて太田大夫と称する。その後、佐竹氏初代・佐竹昌義の久慈郡佐竹郷入部や、2代隆義の太田城接収に伴い旧領からの撤退を余儀なくされ、通延の孫の通盛は小野崎城を築いて小野崎を名乗り、通盛の子の通長の代より佐竹氏に臣従、以降佐竹氏の宿老となった。通胤の嫡男通春は山尾城にあり以後、嫡流は山尾小野崎氏となり、次男通房は石神小野崎氏、三男通業は額田小野崎氏となった。さらに、通春の次男・通伯は久慈郡小貫村にあって小貫氏を起こした。嫡流である山尾小野崎氏は14代成通の後継に佐竹義篤の子・義昌が入り、小野崎氏は主家の一門格ともなった。額田小野崎氏は小野崎氏の中でも独立性が強く、佐竹氏の内乱においても混乱の中で主家の所領を横領するなど変則的な行動が多かったため、従通・照通の時に佐竹氏19代義宣に「異心あり」として攻められたが、伊達氏の家臣を経て最終的に水戸藩に落ち着いている。山尾、石神の両家は佐竹重臣を経て近現代まで続いている。小野崎氏は佐竹氏の重臣として、数々の戦乱において軍役を負い功労を立ててきた。その兵力を支えたのが庶家である。茅根氏、根本氏などはその好例であり、茅根氏からは幕末の志士・茅根伊予之介、根本氏からは根本新平を出した。小野崎氏は佐竹四天王と称される佐竹氏配下の有力武家であったが、小野崎氏自身の四天王も存在した。小野崎通政は自身の四天王を赤津氏、武士氏、江畑氏、中郡氏と定めた。また通政の子の通経は自身の家老の筆頭を大森氏とし、瀧氏、天龍氏、石佐氏、波氏、茅根氏、赤須氏とした。

出典:wikipedia

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