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琵琶湖

琵琶湖(びわこ)は、滋賀県にある湖。日本で最大の面積と貯水量を持つ。湖沼水質保全特別措置法指定湖沼。ラムサール条約登録湿地。河川法上は一級水系「淀川水系」に属する一級河川であり、同法上の名称は「一級河川琵琶湖」である。滋賀県の面積の6分の1を占め、流れ出る水は瀬田川・宇治川・淀川と名前を変えて、大阪湾(瀬戸内海)へ至る。また、湖水は淀川流域の上水道として利用され、京都市は琵琶湖疏水から取水している。陸上から見た地形により最狭部に架かる琵琶湖大橋を挟んだ北側部分を北湖(太湖)、南側部分を南湖と呼んでいる。一方、湖底地形から見ると、北湖盆(North Basin)、中湖盆(Central Basin)、南湖盆(South Basin)に分けられ、北湖盆と中湖盆の境界は沖島北方付近で鞍状の湖底地形が存在している。北湖は面積623km 平均水深41m、南湖面積58km 平均水深4m。琵琶湖を取り巻く各自治体は、大きく湖南・湖東・湖北・湖西に分けられる。"※区分については「滋賀県#地域」を参照。"湖を取り囲む山地からの流れが源流で、京阪神の水がめとしての機能も担っている。また、古くから水上交通路としても利用されており、明治時代に鉄道が開通するまでは、京や大坂から東国・北陸への物資輸送の中継地として利用されていた。古代湖であり、魚類や底生動物など50種以上の固有種を含む生物相に富む。明治から昭和の初期までは、琵琶湖の周囲に大小40数個の内湖が広がり、多くの生物を育んでいた。しかし琵琶湖の洪水防御のため、1943年から始まった河水統制事業により、事業が終了する1952年までに平均水位が数十cm低下したことや、これに前後して内湖の大半が干拓されたこともあって琵琶湖の自然は大きく変化し、固有の風致や生態系が大きく損なわれた。現在、滋賀県は一部の内湖を復元することを計画しており、生態系の回復や水質浄化が各方面から期待されている。東京湾中等潮位 (T.P.) 基準で+84.371 m、大阪湾平均干潮位 (O.P.) 基準で+85.614 mの高さが琵琶湖基準水位 (B.S.L.) と定められており、「琵琶湖の水位」とはB.S.L.を±0 mとした水位のことをいう。B.S.L.は、1874年(明治7年)に鳥居川観測点において「これ以上水位が下がることはない」と判断された点として定められたものであるが、その後、瀬田川の改修によって流出量が多くなったことなどにより、水位がB.S.L.以下になることが多くなった。現在では、B.S.L.の値がおおむね満水位となるように水位の調整が行われている。「急がば回れ」ということわざの語源である。湖を渡るには現在の草津と大津の間を結んでいた「矢橋の渡し」という渡し舟があったが運休が多かったらしく「急ぎならば、瀬田の唐橋のほうに回れ。遠回りでもかえって近い」という意味の和歌が出典。琵琶湖が形成された時期は、約400万年~600万年前で、現在の三重県伊賀市平田に地殻変動によってできた構造湖であった(大山田湖)。湖は次第に北へ移動し、現在から約100~40万年前、比良山系によって止められる形で現在の琵琶湖の位置に至ったという。大山田湖以前、現在の琵琶湖の位置には山(古琵琶湖山脈)があり、鈴鹿山脈は未だ隆起せず、今日の琵琶湖東南部の河川は伊勢湾へ流れていた。それを裏付けるように、鈴鹿山脈の主要な地質は礫岩である。また、琵琶湖に流入する最大の川で、東南に位置する野洲川は、当時西方ではなく、東方へ流れていたという。なお、琵琶湖は世界の湖の中でも、バイカル湖やタンガニーカ湖に次いで成立が古い古代湖であると考えられている。西岸には、琵琶湖西岸断層帯が東北-南西方向に延び、断層帯北部の最新活動時期は約2800年前から約2400年前頃とされ、活動時には断層の西側が東側に対して相対的に2mから5m程度隆起した可能性がある。断層帯南部の最新活動時期は1185年(元暦2年)の文治地震であった可能性があり、活動時には断層の西側が東側に対して相対的に6mから8m程度隆起した可能性があるとされている。1万年前の琵琶湖は今よりも水位が5メートルも低かったと考えられている。縄文時代や弥生時代から交通路としても利用され、丸木舟なども出土している。古代には、都から近い淡水の海として近淡海(ちかつあふみ、単に淡海とも。万葉集では「淡海乃海」(あふみのうみ)と記載)と呼ばれた。近淡海に対し、都から遠い淡水の海として浜名湖が遠淡海(とほつあふみ)と呼ばれ、それぞれが「近江国(おうみのくに、現在の滋賀県)」と遠江国(とおとうみのくに、現在の静岡県西部)の語源になった。別名の鳰海(におのうみ)は、近江国の歌枕である。この鳰は、カイツブリのことを表す。天智天皇により、一時は琵琶湖西岸に大津宮が置かれた。測量技術が発達し湖の形が琵琶に似ていることがわかった江戸時代中期以降、琵琶湖という名称が定着した。琵琶湖は、若狭湾沿岸からの年貢の輸送路としても利用されており、湖上で賊に襲撃された記録なども残されている。湖西には、大津から若狭国へ向かう西近江路や若狭街道、京都から琵琶湖などを経て今庄から北陸道につながる北国街道などの各種交通路が整備された。湖上交通による荷物の輸送も行われており、大津や堅田などは港湾都市として発達した。安土桃山時代には、豊臣秀吉は大津の船持に大津百艘船を整備し、観音寺の船奉行の支配下に置かれ、特権を与えられて保護された。近世になると、大津は松原や米原など他の港と対立し、江戸時代には松原・米原・長浜が「彦根三湊」として井伊氏の保護を受けた。琵琶湖が淀川となって大阪湾に流れる位置から、若狭湾で陸揚げされた物資が琵琶湖上の水運を介して京都や大坂に輸送された。こうした輸送は明治以降もしばらく隆盛であったが、陸上交通の発達によって次第に斜陽となった。一方、高度経済成長期には琵琶湖から運河を掘削して日本海や太平洋・瀬戸内海を結ぶ運河構想が持ち上がった。当初は、琵琶湖から日本海と瀬戸内海を結ぶ阪敦運河構想を福井県知事の北栄造が調整し始めたが、特に四日市市長の平田佐矩が熱心だったこともあり、福井県・滋賀県・岐阜県・愛知県・三重県および名古屋市・敦賀市・四日市市の間で、総工費2500億円~3500億円をかけ若狭湾~琵琶湖~伊勢湾を結ぶ中部横断運河の建設期成同盟が結成され、自民党副総裁の大野伴睦が会長に就任した。しかし、大野や平田が相次いで死去したことや、北および敦賀市長の畑守が相次いで落選するなど推進の中心人物を失い、1970年には中部圏開発整備本部が調査の打ち切りを発表した。琵琶湖の生態系は多様で、1,000種類を超える動・植物が生息している。長い期間自立したためその中には琵琶湖(およびその水系)にのみ生息する固有種も数多く確認されている。その規模も大きく、独特の漁業が発達した。その一方で、オオクチバスやブルーギルをはじめとする外来種の侵入や1992年の琵琶湖水位操作規則の改訂、内湖の消失、水田とのネットワークの分断等によって固有の生物相が大きく攪乱を受け、漁獲高が激減した種も多い。それらへの対抗策も講じられ、外来種駆除や生態系に配慮した水位操作、内湖の再生など様々な取り組みが行われているが、まだ十分な効果をあげられていない。また、琵琶湖産の稚アユは日本各地へ放流され、そのために琵琶湖固有種だけでなく稚アユと共に混獲され放流されたハスなどの種が各地で繁殖するという、移入種を生み出す元ともなっている。琵琶湖には119本の一級河川が流入している。(自治体名は主な流域)琵琶湖から流出する河川は瀬田川の1本のみである。河川以外では琵琶湖疏水があり、琵琶湖からの流出経路は2つしかない。竹生島(面積0.14km²)・沖島(面積1.5km²)・多景島・沖の白石・矢橋帰帆島がある。矢橋帰帆島は、下水処理場のために埋め立てて造った人工島である。1945年6月に公募によって選ばれた。振動周期 30分以上の振動として主に240.9分、71.9分、65.0分、39.8分、32.3分の5種類が存在している。全ての水が入れ替わるまでの時間(滞留時間)は5年程度。環流と呼ばれる湖全体を循環する大規模な水流(海洋での海流に相当)は、1926年に発見され1960年代から1995年頃にかけて精力的な研究が行われた。環流は、2つから3つ程度あり便宜的に北から第1環流(反時計回り)、第2環流(時計回り)、第3環流(反時計回り)と呼ばれる。駆動源となるものは海洋における海流と同様にコリオリの力、風、湖心部と沿岸部との温度差気圧などと複雑な要素が考えられ、季節や気象条件により複雑に変動している。なお、第3環流は消滅する事もある。平均透明度は、6mとされているが、水深の浅い南湖では2m程度、水深の深い北湖では6m程度であるが、気象条件によっては16mを超える透明度を観測することもある。京阪神の水利用において、琵琶湖は非常に重要である。流出する淀川は京都・大阪を貫いて流れ、また琵琶湖が調節池の役割を果たすことから、年間を通して水量が安定している。1895年、大阪市において近代的な水道が近畿で初めて引かれて以来、琵琶湖淀川水系の水は上水道をはじめとしてこの地域の水利用を支えてきた。1998年時点で約1,400万人がこの水系の水で生活をしている。滋賀県によると、西岸湖底断層系南部では最大でマグニチュード7.6の地震が発生し、その場合、4.9メートルの津波が沖島に到達。また、同断層系北部では最大でマグニチュード7.2の地震が発生し、その場合、長浜市沿岸に3メートルの津波が到達するとしている。ただし、「西岸湖底断層系南部は活断層だが、300年以内に地震が起こる確率はほぼ0%。他の4断層はいずれも活断層ではなく、津波を伴う地震が発生する恐れは極めて小さい」としている。また、1185年7月9日に、実際に津波が発生した可能性がある。塩津港遺跡で発掘調査が行われた際、湖底で神社が発見され、その神社から津波と見られる痕跡が見つかった(柱が全て琵琶湖の沖と反対方向に傾いていた)。また、『山槐記』には「琵琶湖の水は北に流れた」、鴨長明は「山は崩れて川を埋め、海(琵琶湖)は傾いて陸地を浸せり」と書いている。高度成長にともなって湖水の水質汚濁や富栄養化が進んだ。このため滋賀県は独自に工業排水と家庭用排水を規制する、いわゆる琵琶湖条例(滋賀県琵琶湖の富栄養化の防止に関する条例)を制定した。このほか琵琶湖に関する滋賀県独自の条例としては、「滋賀県琵琶湖のレジャー利用の適正化に関する条例」や「滋賀県琵琶湖のヨシ群落の保全に関する条例」、景観を守るための「ふるさと滋賀の風景を守り育てる条例」などがある。琵琶湖を始めとする温帯湖沼では、冬季の湖面冷却によって湖水の鉛直混合が起こり、湖中下層へ酸素が供給される(鉛直循環)。近年の琵琶湖では、暖冬によって鉛直循環が不完全となり、酸素濃度の低下で生物が大量死滅する異常事態が発生している。地球温暖化が琵琶湖固有種の生態系に影響を及ぼす事例として、研究が進められている。また、琵琶湖の北方に位置する福井県には、敦賀原発・美浜原発など多数の原発が立地する。琵琶湖との最短距離は20キロ程度であるため、原発事故で汚染されれば水の供給に影響する可能性があると指摘されている。条件が合致すれば初夏には上位蜃気楼が、秋冬には下位蜃気楼が観測できることがある。琵琶湖に接する自治体は次のとおり(北から時計回り)。右記は、市町村ごとの琵琶湖の面積(単位:km²)。琵琶湖の市町境界については、今までどの市町にも組み入れられていなかったが、沿岸の各自治体で行う共同会議において2007年5月8日に境界の設定に合意し、各自治体の議会の同意を得た上で総務省に届け出を行い、9月28日付で官報に確定が公示された境界確定の目的は主に地方交付税交付金の増額である。また、増額された交付金の半分は琵琶湖の保全に使われることが発表されている。「琵」「琶」が当用漢字・常用漢字外であることから、滋賀県内ではひらがな書きにした「びわこ」「びわ湖」という表記も数多く見られる。かつては「びわ町」という自治体も存在した。昭和53年、湖底に沈んでいた零戦が引き上げられ嵐山美術館が修復、その後は和歌山県「ゼロパーク」、広島県「大和ミュージアム」と引き渡され展示された。

出典:wikipedia

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