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鼻メガネ

鼻メガネ (はなメガネ)は、19世紀から20世紀初頭の欧米で流行した眼鏡の種類。フィンチ型とも呼ばれる。耳当てのテンプル(ツル)がなく、鼻を挟むことで装着する眼鏡である。英語で鼻眼鏡はパンスネ pince-nez と呼ばれるが、語源はフランス語で鼻を挟むという意味である。15世紀から17世紀の間に一般庶民に徐々に浸透し、1840年代に現代的な鼻メガネが登場した。1880年から1900年にかけて大流行した。今日の英語で アイグラシズ eyeglasses と スペクタクルズ spectacles は眼鏡を指す同義語だが、鼻眼鏡の流行期には eyeglasses といえば専ら鼻眼鏡を指し、現在一般的な耳にかける眼鏡は spectacles と呼び分けていた。以下、本項では耳にかける眼鏡を耳掛眼鏡と呼ぶ。初期は金属製のリム(眼鏡の枠)だったが、次第に枠無し (Rimless) のもの、さらにセルロイド製のものが登場してきた。高級なものでは銀(スターリングシルバー)製のもの、鼈甲製のものも存在する。鼻パッドは、初期はブリッジと一体化された金属製のもの、あるいはコルクを貼り付けたものだったが、後年にはセルロイドを添付したものが作られた。写真のセオドア・ルーズベルトのように右のレンズ脇に鎖や紐をつなぐ輪が付いている、あるいはレンズ自体に穴が開いているものがあるが、写真の後藤新平の例のように鎖などを付けずに装着する人々も多かった。鎖などを付けても鼻メガネが鼻から外れること自体は防げないが、外れた後に地面まで落下して破損したり紛失したりすることを防ぐことができる。鎖などを固定する手段としては、耳かけ、服に留められるピンバッジ、主に女性用にヘヤピンなどが使われることもあったが、中でも一般的だったのは、鎖・紐を環状にしてネックレスのように首からかけることであった。当時の肖像写真にも、鼻眼鏡やモノクルを首から下げているものが多く見られる。鼻眼鏡の流行していた当時から、レンズを眼の前に固定する手段としては耳掛眼鏡のほうがずっと優れていることは知られていた。鼻眼鏡の長所として当時言われていたことは、掛け外しの手軽さ、見た目が良く洒落ていること、外見を極力変えずに視力を矯正できることであった。短所として指摘されていたことは、長時間の装用が耳掛眼鏡ほど快適となりがたいこと、顔つきによっては掛けられないこと、そしてレンズが回転してしまいやすいため乱視やプリズムの入ったレンズに向かないことであった。レンズが回転しやすい短所は、後述のC-ブリッジ型の、ブリッジ自体がバネを兼ねる構造によるものであり、それを解消するためにスプリング・ブリッジ型を始めとするブリッジとバネを分離した形式が作られたが、重く不恰好であることが嫌われてなかなか一般化しなかった。鼻の上の落ち着きやすいところに置いただけではレンズと眼との間隔が正しくなるとは限らないことも光学上の問題点として指摘され、当初レンズと同一平面上にあった鼻当てを後方に片寄らせたオフセット・ガードも工夫された。19世紀末の書籍では、プリズムが不要で乱視もないか軽い人が適切に調整されたオフセット・ガードつきのものを掛けるならばとの条件つきで、縁無しの鼻眼鏡がもっとも「現代的」で端麗な眼鏡として推薦されていた。日本では吉田茂や後藤新平、佐藤春夫らが愛用していたことでも有名である。現代でもハード・ブリッジ型の鼻メガネを復刻させて製造・販売することがある。また映画『マトリックス』において、登場人物の一人であるモーフィアスがつけていた鼻メガネを模したものが販売された。一般的なツル付きメガネに鼻がついているもの。ほとんどが黒縁で独特の眉毛と口ヒゲもついていることが多い。元々はコメディ俳優のグルーチョ・マルクス(Groucho Marx)の扮装を模したもので、海外では文字通りグルーチョ眼鏡()と呼ばれる。(他にfunny glasses等の呼び名もある)現在でも宴会芸等で需要があり、パーティー・グッズとして安価に売られている。日本のドリフ世代以降、あるいはマルクス兄弟などの喜劇映画を好んでいた世代にとっては、「鼻メガネ」と言う言葉は即座にお笑いに直結する。

出典:wikipedia

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