金華橋(きんかばし)は、岐阜県岐阜市の長良川に架かる市道(都市計画道路・本町打越線)の橋である。1965年(昭和40年)に岐阜県で開催された第20回国民体育大会(岐阜国体)の主会場である岐阜県総合運動場(現在の岐阜メモリアルセンター)へのアクセス道路とするため、同年8月完成予定の工期を1年繰り上げ、1964年(昭和39年)10月26日に竣功した。第二次世界大戦後の1946年(昭和21年)6月5日、戦災復興都市計画による都市計画街路46路線の一つとして、本町早田線が都市計画決定すると、1952年(昭和27年)11月に金華・京町・明徳・鷺山・常盤・早田など関係地元市民による「金華橋架設促進期成同盟会」が発足。1959年(昭和34年)11月に橋梁架設地点の地質調査に着手し、1960年(昭和35年)に取付道路の立入測量調査を開始した。伊勢湾台風による長良川の洪水を再検討した後、1961年(昭和36年)1月に左岸取付道路、同年11月に右岸取付道路の工事に着手し、金華橋架設事務所を設置した。1962年(昭和37年)に金華橋の設計を終えて橋梁の起工式を行い、橋梁下部工事に着手し、1964年(昭和39年)10月26日に竣工、供用開始した。左岸取付道路は幅15m・延長615m、右岸取付道路は幅16m・延長307m、金華橋自体は有効巾15m・延長301.60m、上路式・吊桁付連続鋼二室単箱桁橋として建設された。下部構造は両岸の橋台(半重力式橋台)2基と橋脚4基を設置し、潜函基礎(ケーソン基礎)は25mを最大とする。上部構造は主桁に鋼材883.7トン、高欄材料として耐蝕アルミ合金10.5トン、橋面構造材料としてコンクリート939m、丸軟鋼180トン、異形鉄筋66.7トン、アスファルト166mを使用。取付道路は切土、盛土、跨道橋、特殊堤改良工を実施し、3245mにわたって厚さ10cmの密粒式アスファルトコンクリートで舗装された。工事費は上部構造2億3000万円、下部構造1億2000万円、左岸取付道路6900万円、右岸取付道路4100万円、総工費4億5981万4000円(いずれも当時)。交通量の増大に伴い、朝夕の渋滞緩和策として1971年(昭和46年)12月にリバーシブルレーン(中央線変移)規制を全国で初めて導入し、通常時は片側2車線の車道を平日午前7時 - 9時は南進3車線、平日午後5時 - 7時は北進3車線に変更していたが、2011年(平成23年)10月11日から車線を固定した社会実験を実施し、一時休止の影響がなかったことから2013年(平成25年)4月1日に正式に廃止された。廃止に伴い、南進・北進車線ともに終日・片側2車線固定となっている。1999年(平成11年)11月から金華橋の拡幅・リフレッシュ工事が実施され、2000年(平成12年)7月に完成した。これにより幅員が15.60mから18.80mに拡げられ、車道は11.0mから12.0m、歩道は2.0mから3.0mにそれぞれ拡幅した。なお死荷重を抑えるため、それまでのRC床板から鋼床板に取り替えられている。
出典:wikipedia
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