本満寺(ほんまんじ)は、京都府京都市上京区にある、日蓮宗の本山(由緒寺院)。山号は広布山。塔頭が四院ある(一乗院、守玄院、実泉院、法泉院)。1410年(応永17年)本圀寺から分立し、六老僧の一人日持を崇敬開山として玉洞妙院日秀(関白・近衛道嗣の子)が開基。当時は上京区元本満寺町(新町通今出川上る西入)付近にあった。1536年(天文5年)天文法華の乱で焼失し、堺に避難する。寺伝によれば、それから間もない1539年(天文8年)、関白近衛尚通が現在の地に移建し、後奈良天皇の勅願寺となるという。ただし、移建の時期については異説もある。山科言継の日記『言継卿記』の記載によれば、1545年(天文14年)の時点で本満寺は「近衛殿近所」に存在していた。この「近衛殿近所」が具体的にどこを指すかは定かでないが、本満寺の現在地(寺町通り今出川上る)には該当しない。このことから、1590年(天正18年)頃、豊臣秀吉が京都の寺院を寺町通り沿いに強制移転させた時期に本満寺も移建されたとする説もある。1751年(万治4年)徳川吉宗の病気平癒を祈願し、幕府祈願所となった。近世にはたびたび火災に遭っており、1661年(寛文元年)の火災、1708年(宝永5年)の宝永の大火、1788年(天明8年)の天明の大火により焼失するが、その都度再建されている。本堂は1911年(明治44年)2月8日にも焼失し、1927年(昭和2年)に再建された。現住は62世伊丹日章貫首(大阪市雲雷寺より晋山)。莚師法縁(隆源会)。日蓮宗は昭和16年に本末を解体したため、現在では、旧本山、旧末寺と呼びならわしている。
出典:wikipedia
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