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革命的労働者協会(解放派)

革命的労働者協会(解放派)(かくめいてきろうどうしゃきょうかい かいほうは)は、社青同系の日本の新左翼党派の一つ。1999年に革命的労働者協会(社会党社青同解放派)(主流派、現代社派)から分裂して結成された。通称は赤砦社(せきさいしゃ)派、木元派、山茂派(山田茂樹派)など。「党、ソビエト、武装蜂起」(革労協構成員であった中原一の著書の題名)をキャッチフレーズとし、日本のソビエト連邦化を目指す団体。非公然組織の「革命軍」を持ち(建前としては革命軍が「軍報」を送るだけで革労協としては無関係ということになっている)、現代社派との間で内ゲバで連続殺人事件を引き起こした。アメリカ帝国主義と日本の天皇制を打倒という目標を掲げている。そのためにはアメリカ帝国主義の前線基地である米軍基地や自衛隊関連施設を攻撃すべきだと称して、実際に放火事件や飛翔弾(ひしょうだん)発射事件などをおこしており、警察は極左暴力集団と呼称している。かつて解放派は明治大学の学生自治会、生協を掌握することにより多額の資金を党派活動へと流用させることができたが、赤砦社派、現代社とに分裂し殺人にまで及ぶ内ゲバ戦争へと突入した結果、明治大学から駆逐されて主要な資金源を喪失した。その後は組織活動への資金調達のために介護事業を組織的に展開しているが、障害を持った活動家を活動家が介護するという構図、あるいは福祉サークルに勧誘した学生がボランティアとして行った介護についても介護報酬を請求するなど不透明な行為が公安警察によって監視されておりしばしば摘発されている。大衆活動に力を入れており、これが奏効して2009年になって機関紙の週刊化や都心での大規模デモ行進に成功している。また2011年以降としては福島第一原子力発電所事故以降では脱原発、在日特権を許さない市民の会等の行動する保守の台頭に伴い反レイシズムを訴えるようになった。現代社派と比べると集会、デモなどでの参加者数は多いが、実際に動員されているのは寄せ場であぶれた日雇労働者、野宿労働者などだと言われている。1999年5月、革労協の拠点であった明治大学で「明大ゴスペル愛好会」(ゴスペル研究会、ヨハン早稲田キリスト教会系列)との闘争が激化した。「明大ゴスペル愛好会」は韓国からの留学生が主体で、韓国でピジン化してはいてもキリスト教原理主義の立場に立ち、政治的には反共とファンダメンタリズムを掲げシオニズム支持(クリスチャン・シオニズム)であった。革労協は同愛好会を襲撃をするも返り討ちに合い、警察へ突き出されるなどの失態まで出すことになった。そこで明大ゴスペル愛好会への対応をめぐり、闘争をやめて事態の鎮静化を図ろうとする穏健派の山田茂樹ら反主流派(通称は赤砦社派、木元派・山茂派とも)と、徹底抗戦を主張する強硬派の狭間嘉明、千木良信夫ら主流派(現代社派。狭間派とも)が対立した。以前から革労協内部でくすぶっていた現代社常任幹部と、全学連・寄せ場労働者などのメンバー(赤砦社派)の対立が表面化する。特に山田が個人の判断で勝手にゴスペル代表者と手打ちをしたことで、狭間の怒りを買い杉並区高井戸の「現代社」において反主流派への査問が始まった。その際山田ら反主流派は革労協内部での劣勢を立て直すため、ひそかに革労協のシンボルである現代社の乗っ取り計画いわばクーデターを画策した。しかし社防隊が手薄となるゴールデンウィークに狙い定め実行するも失敗。反主流派は逆に外部へと放逐される形で追い出され、現在の台東区下谷の賃貸マンションに新拠点の「赤砦社」を置き、山田をリーダーとして、革労協の分裂が決定的となった。1999年6月4日、現代社派が山田を襲撃し、後遺症を残すほどの重傷を負わせた。その後さらに現代社派は私服襲撃部隊を赤砦社派の拠点のひとつであった明治大学駿河台キャンパスに送り、学生活動家を襲撃しようとした(未遂)。一連の現代社派の襲撃に対して6月13日、赤砦社派は『6・13軍声明』を発表し現代社派との「全面戦争」を宣言。以後、両者は活動家の襲撃を繰り返し、14件の内ゲバが発生、2004年の停戦までに双方合わせて10人(両党派各5人)が死亡することになる(下表参照)。この内ゲバの結果、現代社派は三里塚以外での重要拠点を赤砦社派に奪われ、赤砦社派は学内での内ゲバを口実に大学当局側によって完全に排除されてしまった。また、両派ともに相手の絶滅を主張し、小型の出刃包丁やハンマーなどを使用した襲撃を続けたため逮捕者や離脱者が多数出て、組織の維持すら危うくなった。そのため2004年6月2日、現代社派による東京三ノ輪の赤砦社派アジト襲撃(赤砦社派2名死亡。通称6・2三ノ輪事件)を受けても赤砦社派は報復をせず、機関紙上で「今度(襲撃に)来たら死人の山となる」と発表するにとどまった。これは報復を自分の側からはしないとの宣言にも受け取れるため、事実上の停戦が成立したと言われている。さらに2006年初の機関紙上で赤砦社派は「党内闘争は最終決着した」と発表した。6・2三ノ輪事件から現在まで両派間に内ゲバは起きていないものの、公安警察は再燃を警戒している。現代社派・赤砦社派間の内ゲバ死者数(●は現代社派、○は赤砦社派を表す)なお、内ゲバの停戦工作は最後の襲撃となった6・2三ノ輪事件の前々から行なわれていたといわれている。2006年3月28日、手打ち担当者だったとされる赤砦社派の岸本修が死亡した。同派は心臓麻痺と発表したものの、手打ち工作で現代社派にだまされ6・2三ノ輪事件につながったことを理由とした粛清によるものと一部から指摘されている。現に警察も全身に皮下出血があったとして赤砦社を翌日に29日に家宅捜索している。しかしこれといった証拠は見つからず現在も真相は分かっていない。現在では機関紙上を含め、現代社派への言及、批判をほとんど行っていない。現代社派が機関紙上で赤砦社派へ毎号のように非難を書き連ねている(毎号の何らかの記事の見出しに「木元グループ解体・根絶(あるいは「絶滅」)」などとほぼ必ず書かれている)ことと比べて対照的である。こうした罵詈雑言を「無視」することで、赤砦社側が熾烈な内ゲバによる組織的な動揺を回避するためと考えられる。赤砦社派は飛翔弾発射を中心としたゲリラ事件を頻繁に引き起こしている。特に2002年から現代社派との内ゲバが小康状態に入ったため、今度は「対権力」へのゲリラ事件を頻発させるようになった。00年7月に引き起こした米軍横田基地への飛翔弾発射事件を皮切に、現在までいくつかのゲリラ事件を引き起こしている。もっぱらその標的は米軍基地・防衛庁・自衛隊などで、金属弾を手製の迫撃砲で打ち込むことが多い。今のところ人的被害はゼロで、標的に着弾すらしないこともあるが公安警察は強く警戒している。2010年11月、陸上自衛隊大宮駐屯地での飛翔弾発射事件では、2011年1月19日に爆発物取締罰則違反の疑いで反主流派活動拠点「赤砦社」や活動家の自宅などが、埼玉県警察などにより家宅捜索された。赤砦社派のゲリラ事件(09年現在迄。■は飛翔弾事件、□は時限発火装置事件を表す。)かつては明治大学において自治会を威力で掌握し、明治大学当局から多額の自治会費を受け取って活動へ流用していたが、現在はいずれの大学においても自治会を掌握する事ができていない。明治大学を除く大学では学籍を有する活動家がサークルなどを結成して活動を行っている。赤砦社派は明治大学へのアプローチを基本的に一切行っていないが、これは明治大学生協解散の際に赤砦社派の掌握する理事会が3億円とも言われる金銭を受け取りこれに同意したことが背景にあるのではないかと推測される。なお徳島大学では2015年にこれまで掌握していた新聞会が当局側によって閉鎖させられた。赤砦社派は2009年1月1日付け機関誌『解放』で「全学連定期大会」の準備を強調した。同派系全学連は99年の革労協分裂以降、06年に「全学連臨時大会」を開催したのみで定期大会は開催していなかったが、09年11月に久々定期大会を開催した。

出典:wikipedia

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