荒井 昭博(あらい あきひろ、1962年11月5日 - )は、BSフジ取締役(編成・報道担当)。元・フジテレビジョン編成制作局長、フジ・メディア・ホールディングス総務局長、ストーリアLLC合同会社職務執行者代表、社内横断新規プロジェクトリーダー、テレビプロデューサー。東京都練馬区出身・在住。入社時は営業部。東京学芸大学教育学部附属高等学校を経て、1985年慶應義塾大学経済学部卒、フジテレビ(現・フジ・メディア・ホールディングス)入社。入社当時の配属先は営業局スポット営業部であり、3年間所属した。脳科学者の茂木健一郎は学芸大附属高校の同級生であり、1985年の日航ジャンボ機墜落事故の生存者情報を墜落現場からスクープした山口真(現・コンテンツ事業局長)や部下のきくち伸(現・ペイTV推進部ゼネラルプロデューサー)はフジテレビの同期である。1992年春に『夢がMORI MORI』を立ち上げ、まだ当時無名であったSMAPを起用、彼らにバラエティ魂をじっくり叩き込む。ほぼ同時期である、プロデューサー昇格前の1994年の『森田一義アワー 笑っていいとも!』ディレクター時代に「SMAPはお昼に絶対に受ける!」と当時荒井の直属の上司であり、『笑っていいとも!』プロデューサーだった佐藤義和に直訴し、当時はまだほぼ全国的知名度の少なかったメンバーの中居正広と香取慎吾をレギュラーに抜擢している(後に草彅剛も。その後1996年春に関西テレビとの共同制作による番組『SMAP×SMAP』の立ち上げに関わる。初回23.5%でスタートし最高視聴率33%というお化け番組に導いた。『笑っていいとも!』『SMAP×SMAP』プロデューサーとして一番繁忙だった1999年に夫人を肺癌で亡くしている。夫人が亡くなるまでの間、彼女の病気を荒井は同僚に一切告げずに激務をこなしていた。当時上司だった佐藤義和は荒井本人から夫人の死を知らされた直後にかなりショックを受け、胸が痛んだという。文藝春秋(2001年2月号)「この100人に投資せよ」でNHK総合テレビ『プロジェクトX〜挑戦者たち〜』のプロデューサー・今井彰と共に選ばれた。また2002年7月に編成局編成副部長に就任したため、これまでプロデューサーとして担当していた番組は坪田譲治や石井浩二らが引き継いだ(ただし、『サタ☆スマ』・『デリバリー・スマップ デリ!スマ』や『スマ夫』など、一部番組は受け継がれなかった。最後にプロデュースしたのは2003年3月終了の『スマ夫』であった)。編成担当としては、『トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜』や『さんま・木村拓哉のサンタク』『爆笑おすピー大問題!!』、『タモリのスーパースーパーニュース』、『タモリの未来予測TV』、『忘文』(稲垣吾郎出演)、『FNS5000番組10万人総出演 がんばった大賞』等のバラエティ番組をはじめ、SMAP出演ドラマ(『犬神家の一族』や『X'smap〜虎とライオンと五人の男〜』(2004年12月25日放送の『プレミアムステージ』特別企画))等の編成担当をしていた。また『金曜エンタテイメント』では(『浅見光彦SP』『十津川警部夫人の事件簿シリーズ』『真珠夫人SP』、『牡丹と薔薇』完結版)などテレビドラマの企画担当プロデューサー、『冬の輪舞』特別版や『さんま・玉緒・美代子のいきあたりばったり珍道中』シリーズの編成担当をしていた。2005年7月に編成部企画担当部長に昇格し、編成担当を離れた。2007年に編成制作局編成部長に昇進。2009年からは、編成制作局次長兼任に。2010年6月29日からは、編成制作局制作担当局長兼編成開発部長。2011年6月29日からは、鈴木克明の後を引き継ぎ編成制作局長に就任。2013年6月27日付でフジ・メディア・ホールディングス総務局長に就任。2016年6月29日付でBSフジに出向し、取締役編成報道担当に就任。AD・ディレクターとして手がけた番組。以下は、番組プロデューサーとして手がけた番組。(現在も編成として関わっている)AD→1990年10月-1995年9月29日はディレクター。1995年10月2日-2002年7月2日にはプロデューサー。フジテレビジョンの編成制作局では必ず何かの班に所属し、番組を作る。かつて荒井昭博が率いていた「荒井班」は編成部・制作部の枠・垣根を超えて最大勢力を誇っていた。現・バラエティ制作センター。
出典:wikipedia
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