伊集院信管(いじゅういんしんかん)とは伊集院五郎海軍大佐が考案した信管で明治33年に採用された。砲弾が飛んでいるうちに、尾部のネジが回転して安全装置をはずすのが特徴で、日露戦争で広く使用された。下瀬火薬とともに語られることが多い。非常に敏感であり、砲弾がどこに命中しても爆発したと言われている。定説では日露戦争の勝利に大きく貢献したとされているが、一方で、鋭敏すぎるため扱いが難しく暴発事故も多かったため、実際には厄介物扱いされていたという説もある。元大日本帝国海軍大佐である黛治夫は、伊集院信管について「実際発射してみると、質量の大きな遠心子は、発射の激動で、ナットと螺子の凹凸を一挙にこわして、ナットを後退させる」とし、実際は安全装置として機能しておらず、砲身内部に異常があった場合に腔発を招くと批判している。また、遅動信管としての機能が発揮されず、徹甲榴弾であっても装甲の表面で爆発してしまい、敵艦内部で爆発して致命傷を与えることができなかったとも述べ、「遅動信管そのものでは、ロシアはわが方に優っていたというべき」と評している。『海軍砲戦史談』原書房 1972年
出典:wikipedia
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