エスマイリン・マヌエル・カリダ(Esmailin Manuel Caridad, 1983年10月28日 - )は、ドミニカ共和国出身のプロ野球選手(投手)。日本時代の登録名は「カリダ」だが、原音は「d」の音も発音する。日本プロ野球の育成選手出身では、初となるメジャーリーグ昇格を果たした。また、中国野球リーグ出身選手としても初の快挙である。カープアカデミーからの春季キャンプより、練習生として広島東洋カープのキャンプに参加。4月から3か月間、ソリアーノ、パチェコと共に中国CBLの広東レオパーズに派遣された。の春季キャンプには一軍帯同して首脳陣にアピールし続け、4月2日付けで育成選手として契約した。以後ウエスタンリーグで18試合で防御率1.96の成績を残し、6月29日付で支配下登録選手となり、7月5日に中日戦でプロ初登板を果たす。1/3回を投げて無失点だった。オフ、「外国人枠の問題や実力的に厳しい」との理由でカープを自由契約となる。12月19日にシカゴ・カブスとマイナー契約を結ぶ。8月10日、メジャー初昇格を果たす。同日のロッキーズ戦でメジャーデビューを果たし、5回1/3を投げ、7被安打4奪三振1四球3失点(自責2)という内容だった。以降メジャーリーグでの登板はなく、カブス傘下のAAA級マイナーリーグのチームに所属してきた。7月26日、韓国プロ野球・三星ライオンズと契約。登録名は「カリデ(카리대)」。三星では未勝利でたった3試合だけの登板に終わり、2013年限りで自由契約となった。はメキシカン・リーグのキンタナロー・タイガース、モンクローバ・スティーラーズに所属した。もメキシカンリーグのベラクルス・レッドイーグルスと契約。4月28日にレイノサ・ブロンコスに移籍したが、5月9日に解雇となる。5月29日、BCリーグ・群馬ダイヤモンドペガサスと契約し日本野球界に復帰した。150km/h前後のストレートと、スライダー・カットボール・チェンジアップ・シンカーを投げる。広島時代練習中使用しているグローブは黒田博樹のものであった。カープアカデミーでは、個人の練習道具の殆どが在籍していた選手のお古などで練習している。
出典:wikipedia
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