正一位(しょういちい)は、位階及び神階のひとつ。諸王及び人臣における位階・神社における神階の最高位に位し、従一位の上にあたる。関白や太政大臣、あるいは征夷大将軍として功労をなした者その他、国家に対する偉勲の著しい者が叙されている。ただし、生前に叙された者は史上でも6人しかおらず、没後の贈位に用いられた場合がほとんどである。また、生前叙位は1891年(明治24年)の三条実美を、没後追贈は1917年(大正6年)の織田信長をそれぞれ最後として、以後は叙位の例がまったくない。山県有朋が1922年(大正11年)に死去した際に「正二位に叙されてから長年経過しており従一位では恩典として不十分なので正一位を」という声が陸軍からあったが実現しなかった(佐野眞一「枢密院議長の日記」講談社現代新書、P245~246。山県が正二位に叙されたのは1895年で、それ以降に二度目の内閣総理大臣を務め、日露戦争では参謀総長として働き、元勲として三十年近く国政に参与している)。現在も位階令で規定されてはいるものの、実際に授けられる位階の最高位は一階下の従一位である。そのせいか、宮中席次には正一位に叙された人物が序列第何位になるかの規定が存在しなかった(明治以降、正一位を生前叙位されたのは三条実美だけだが、三条は大勲位を生前叙勲されており、これによって席次一位となる。また三条が叙位されたのは死の直前であったため、運用上の問題は生じなかった。)。また、神階は下げられることなく進階する一方で、いつか寿命が来る人と違い神には寿命がないので、年を経るごとに多くの神社が「正一位」になった。さらに、神階は神社に対して授けられるものであり本来分祀先には引き継がれないが、律令制の弛緩とともに、分祀先の神社でも勧請元の神階を名乗る例が現れるようになった。特に、稲荷神社ではその風潮が顕著である。稲荷神社の総本社である伏見稲荷大社では、建久5年12月(1195年1月)に後鳥羽天皇の行幸があった際、「本社勧請の神体には『正一位』の神階を書加えて授くべき」旨が勅許されたとする。このため、勧請を受けた全国の稲荷神社も正一位を名乗り、「正一位」は稲荷神社の異称のようになった。太字は生前叙位。
出典:wikipedia
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