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芦ノ牧温泉駅

芦ノ牧温泉駅(あしのまきおんせんえき)は福島県会津若松市大戸町香塩乙にある会津鉄道会津線の駅である。相対式ホーム2面2線を有する地上駅。駅舎は下りホーム側にあり、上下ホームは会津若松端の構内踏切で結ばれている。簡易委託駅。駅名標には「天下御免ジパング国会津芦ノ牧藩」と記されている。大川ダム公園方の側線にはトロッコ車輌「AT-301」(元国鉄キハ30 18)が静態保存されている。駅前には、旧名上三寄駅の駅名標がある。駅から東に約200 mの国道118号線上の「上三寄」が最寄りのバス停となる。2008年4月24日に、この駅に住んでいる猫「ばす」(ひらがなが正しい)が名誉駅長として任命された。「ばす」は2000年6月頃に近くの子供に拾われて以来芦ノ牧温泉駅を住処としており、この駅のヒトの女性駅長である小林美智子に世話をしてもらっている。芦ノ牧温泉駅を住処とする猫としては3代目とされる。任命される以前にも駅に住む地元のアイドルといった紹介がメディアで行われたこともある。任命式においては、同様に和歌山電鐵から正式に任命されて話題を呼んだ貴志川線貴志駅のたま駅長からも祝電が贈られた。ばす駅長をあしらったキーホルダーなどのグッズも販売されている。2008年12月18日には、同駅の利用者を大幅に増加させたこととグッズの販売が好調であったことから、会津鉄道社長より「トップセールスレディ賞」が授与された。「ばす」の駅長就任以来、同駅の利用客は前年比50%増加した。また、2010年1月には会津鉄道が総務大臣表彰を受けたが、これは「ばす」が選挙の広報活動に起用され、貢献したことによるものである。また「福島県男女共生のつどい」の広報大使をつとめる、地元ロータリークラブの表彰を受けるなどもしている。さらに2010年2月に導入されたトロッコ車両であるAT-350形気動車(車番351)の外装の全面にばすの姿が描かれている。2009年5月11日には同和鉱業片上鉄道(廃線)吉ヶ原駅の駅長猫「コトラ」との対面が実現し、多数の取材陣が駅を訪問した。2014年7月15日頃、高齢となった「ばす」の後継として「らぶ」が「駅長見習い」として採用された。「らぶ」はアメリカンカールという品種の猫で、2014年4月に地元・会津地域で誕生。「長毛で耳がカールしている猫が生まれそう」との話を、既に高齢となっていた「ばす」の後釜を地元住民の協力を得つつ探していた駅側が聞きつけて里子として引き取ったところから、「駅長見習い」として当駅での生活が始まった。「駅長見習い」として採用された当時は生後約3ヶ月の子猫だったが、地元紙はこの「らぶ」について、内向きに巻いた丸い耳が特徴、と伝えていた。「駅長見習い」に就任してから間もない頃の「らぶ」はいたずら盛りで、「駅長見習い」としての仕事を放り出して駅近くにいた鳥を追いかけようとして人間の駅員が止めに入る等の出来事があった。そして、「駅長見習い」としての生活が始まってから半年ほど経った2015年初め頃、自身の視界に入った獲物を追いかけ回っている最中に列車と接触、左足大腿骨を折る大けがを負って県外の動物病院に入院し手術を受ける事態に見舞われ、全治するまで3ヶ月程度を要した。それでも人間の駅員、そして人間でいえば既に後期高齢者入りしているであろう「ばす」駅長の“指導”の下で成長を続けてきた「らぶ」は、1歳8ヶ月となっていた2015年12月24日、高齢で体力面の衰えを隠せなかった「ばす」から名誉駅長の座を引継ぎ、第2代名誉駅長として新たなスタートを切った。「ばす」から「らぶ」への名誉駅長引継は2015年12月10日に会津鉄道から発表され、同年12月24日に交代式(就任式)を開催するという日取りで進められたが、この交代式には県内外からファンが参集した。交代式では、やんちゃに動き回る「らぶ」に会津鉄道社長・大石直から名誉駅長の委嘱状が交付されると共に、初代名誉駅長として約7年8ヶ月間務め上げ、式の最中は始終眠そうな様子だった「ばす」に対しては「初代ご長寿あっぱれ名誉駅長」の称号が与えられた。そして、地元保育園の園児たちによるハンドベル演奏やクリスマスソングで「らぶ」の名誉駅長就任を祝した。このあと「らぶ」は早速、クリスマスツリーなどが飾り付けられた特別列車「サンタ列車」に乗り込み、居合わせた乗客達に愛嬌を振りまく等、2代目名誉駅長としての仕事をこなしていた。なお「らぶ」の性別については、生後から2014年7月の「駅長見習い」就任当初にかけては“メス(♀)”と発表されていたが、前出の左足大腿骨骨折による動物病院入院そして手術の過程で停留睾丸が判明、怪我の手術と共に停留睾丸の手術も併せて施行されると共に、性別表記についても“オス(♂)”と修正され、今日に至っている。2014年頃に腎臓の病気を患い、これ以降はヒトの駅員たちが「ばす」の体調に気を配るようになっていた。そんな中、2016年4月20日頃になって体調を崩し、立ち上がれず食事も受け付けず、ほぼ寝たきりの状態に陥った。この事態に対し当駅に「ばす」が住み着いて以来面倒を見続けてきた小林駅長は、以後、泊まり込みで看病を行ってきた。しかし、2016年4月22日、当駅に於ける最終列車である会津若松発会津田島行き(当時)が当駅を定刻通り22時27分に発車したあと容態が急変、5回ほど荒い呼吸を行った後、小林駅長やヒトの駅員3名そして前年(2015年)暮れに「ばす」から名誉駅長の座を受け継いだばかりの「らぶ」に看取られる中、22時47分に眠るが如く息を引き取った。享年18歳(推定)で、死因は老衰とされている。死後、駅舎内には献花台が設けられると共に、在りし日の「ばす」をとらえた写真(フォトフレームとファイル)やメッセージボードが置かれ、駅を訪れるファンらが手を合わせる光景が見られた。2016年5月1日には社葬が営まれ、約300人のファンが訪れた。2016年6月5日に同駅で五十日祭が行われ、ハナモモの木のもとに埋葬(樹木葬)された。名誉駅長就任から半年余り経過した2008年11月16日、朝日新聞の報道に対してばす側(=会社側)が異議を唱えるという出来事が起きた。同日付で発行した東京本社版紙上の社会面に「ばす」の人気ぶりについての記事が掲載された際、朝日は当該記事の中で「『名誉駅長』こと野良猫」、「一日中、待合室の座布団で寝ているだけだが」と報じた。これに対し、ばす側は翌11月17日付で自身の公式ブログに掲載した記事の中で、ばす自身について「芦ノ牧温泉駅を現住所とするれっきとした家持ち」であり、仕事の「合間に目の疲れを癒すために休憩をしている」と反論した。また、記事と共に掲載された写真に関しても、朝日紙上では「待合室で丸くなる」ばすの写真が掲載されたのに対し、ばす側の公式ブログは「(「ばす」自身が)お客様をお迎えしている」とする写真を掲載した。そして、朝日新聞に対し「もう一度取材してほしいニャー」と強く要望、朝日新聞側も「また遊びにうかがいます」と応じている。この一連の出来事を初め、テレビの旅番組・情報番組などでとりあげられたり、地元テレビ局の天気予報の背景映像に採用されたりしているほか、旅行・ペット雑誌の他、女性誌や経済誌にまで記事が掲載されるなど、「ばす」のメディア露出が続いてきた。ばす駅長の活動が、オール読み切りの猫マンガ雑誌『ねこぷに 2周年カンパイ号』(2009年4月27日発売、メディアックス刊)で、貴志駅の「たま駅長」と共に漫画となる。また、ジャイブ刊『月刊コミックラッシュ』でシリーズ連載されている「新新宿駅企画課 あるぷすひろば」(原作・水越保、作画・たかはしまもる)の第17話でも他の動物駅長たちと並んで紹介されており、同エピソードを収録した単行本第2巻が掲載誌の編集部よりばす駅長に献本された。2016年現在、らぶ見習駅員を抱っこ、あるいは許可なくカメラ・ビデオ・携帯電話・スマートフォン等で撮影することは「禁止」となっている。
生前のばすは、名誉駅長就任時点でネコとしては既に高齢でもあり、加齢と撮影者によって大量のフラッシュを浴びたことにより目を悪化させていたため、同様の措置が取られていた。
面会を希望する者は(ヒトの)駅長・駅係員の注意に当然ながら従わなければならない。2012年 6月3日にひたちなか海浜鉄道の那珂湊駅と姉妹駅の提携が結ばれた。(会社に対しては)地元の鉄道を愛し活性化をはかろうとする団体の存在、(駅に対しては)両駅とも開業の時に建てられた木造駅舎をそのまま使っていることなどいくつかの共通点があるが、駅に猫がいることが両駅の共通点であることも提携の理由の一つであった。また同年7月には開業25周年を記念して駅舎の左側に「会津鉄道神社」が建立されたが、建物の中は多くの猫の写真が貼られている。なお神社の建立以前から駅舎の中にある机にも多数の猫の写真が置かれている。

出典:wikipedia

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