安宅 信康(あたぎ のぶやす)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。天文18年(1549年)、三好長慶の弟・安宅冬康の長男として生まれる。永禄6年(1564年)、父が長慶に殺されたため、家督を継いで淡路水軍の総指揮官となる。織田信長上洛後、信長包囲網が敷かれると石山本願寺と結んで織田氏と敵対したが、元亀3年(1572年)に足利義昭および信長に降伏してその臣下となった。義昭と信長の手切れ後は織田水軍の一員となり、石山本願寺を支援する毛利氏の誘いを拒否して、天正5年(1577年)には木津川口の戦いにおいて毛利水軍と戦った。天正6年(1578年)に死去。享年30。後を弟の清康が継いだ。ただし、一次史料から判明するのは、冬康の没後に嫡男の「神太郎○康」が継ぎ、その後を冬康の兄三好実休の三男「神五郎某」が継承したという事実のみである。神太郎・神五郎の実名が信康・清康であった可能性もあるが、それを裏付ける史料は存在せず、信康・清康兄弟の実在性も不明である。
出典:wikipedia
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