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竹内好

竹内 好(たけうち よしみ、1910年(明治43年)10月2日 - 1977年(昭和52年)3月3日)は、日本の中国文学者。文芸評論家。魯迅の研究・翻訳や、日中関係論、日本文化などの問題をめぐり言論界で、多くの評論発言を行った。長野県南佐久郡臼田町生まれ。東京市麹町区富士見小、東京府立一中を経て、1931年旧制大阪高校から東京帝国大学文学部支那文学科に入学。在学中に武田泰淳らと「中国文学研究会」を結成し、卒業後もそこを中心に活動した。1937年から2年間は北京に留学。1943年に陸軍に召集され中国大陸で終戦を迎える。復員後、慶應義塾大学の講師を経て60年安保闘争中、強行採決に抗議し東京都立大学人文学部教授を辞した。その後は雑誌『中国』を刊行し、晩年には魯迅研究に没頭した。戦後、明治以後の日本の近代史がどこで間違ったのかという問題意識を持って出発し、反戦の頑強なシンボルと目されていた日本の共産主義の行く末を厳しく見守る態度をとった。戦時中から取り組んでいた魯迅の研究は、必然的に中国の近代化の問題へと関心をひきつける結果となった。日本のマルクス主義史学への懐疑心が生まれ、開発途上国の近代化の過程は明治維新に代表される日本型が唯一のモデルではなく、もっと多様なのではないかと考えた。その点で戦後に読んだデューイの日中文化比較論に感銘を受けている。また、日本の文化構造が奴隷的で主体性の欠いていることを指摘し、日本のインテリ層の進歩主義を批判した。伊藤整や野間宏らと国民文学論争を展開し、「近代主義と民族の問題」(1951)「国民文学の問題点」(1952)「文学における独立とはなにか」(1954)などの関係諸論文を『国民文学論』(1954)にまとめた。日本人の中国大陸などアジア地域に対する道義性を問いただし、アジア主義の観点を再発掘して「大東亜戦争」の再評価を促した。「侵略はよくないことだが、しかし侵略には、連帯感のゆがめられた表現という側面もある。無関心で他人まかせでいるよりは、ある意味では健全でさえある」と、ある種の評価もしている。戦後になって読み始めた毛沢東の著作で、抗日戦争に対する見通しが正確だったことに驚き、毛沢東の土着的発想を学ぶことで太平天国の乱を源流とする中国の人民革命の特質がつかめることを期待した。その毛沢東思想の原型を井崗山時代に求め、根拠地理論へ到達した。また、雑誌『世界』1965年1月号の特集「転機にたつ日本の選択」に掲載された論文「周作人から核実験まで」の中で「けれども、理性をはなれて、感情の点では、言いにくいことですが、内心ひそかに、よくやった、よくぞアングロサクソンとその手下ども(日本人を含む)の鼻をあかしてくれた、という一種の感動の念のあることを隠すことができません」と毛沢東による一方的核実験と核保有宣言に際してポストコロニアルの視点から意見を表明した。1961年から当時は珍しかったスキーを51歳で始め「老人スキー」を称した。『魯迅文集』刊行中に、肺癌により、東京都武蔵野市の病院で死去した。葬儀委員長は埴谷雄高。

出典:wikipedia

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