公益社団法人日本外国特派員協会(にほんがいこくとくはいんきょうかい、)は、日本に派遣されている外国報道機関の特派員及びジャーナリストのために運営されている社団法人の会員制クラブである。日本における外国人記者クラブであり、日本国内で単に「外国人記者クラブ」と言えば日本外国特派員協会のことを指す。1945年11月に、第二次世界大戦の終結後に日本を占領下に置いていた連合国軍司令官のダグラス・マッカーサー元帥の命令によって、連合国および中立国の記者、ジャーナリスト向けのプレスクラブとして第一生命ビル内に設立された。なお設立時の名称は「東京特派員クラブ」であった。日本に駐在する世界各国の外国特派員及び現職の日本人ジャーナリストで、過去に日本から一定の期間海外に特派された来歴のある人たちの職業上、社交場の友好、親睦、相互福利を促進するとともに、報道及び情報交換の自由の確保を図り、もって日本と諸外国との友好関係と好意的理解を維持し増進することを目的とし、GHQ付記者らが「日本でも本国と同じように仕事と生活ができるように」と外務省所管の特例社団法人として創設された。その後連合国による占領期間の終了後の1952年に「日本外国特派員協会」に改称し、1954年11月に外務省所管特例民法の社団法人として認可された。同年には、朝鮮戦争の終結後に会員数が減少したことを受けて東京アメリカンクラブの建物内に移転したが、その後の高度経済成長を受けて特派員数が増加したため1958年に再移転し、1976年に現在の場所に移った。NPO法人制度の法改正により、2014年に社団法人から公益法人へ移行した。現在は、日本に派遣されている外国報道機関の特派員及びジャーナリストを中心とする会員に職業上の便宜を与えると共に会員相互間の友好親睦を図ることを目的に、日本に駐在する外国人特派員やジャーナリストに対するニュースの蒐集、配信の便宜、取材のための講演会、討論会や記者会見等の開催運営などを行っている。所在地は東京都千代田区有楽町電気ビル北館で、同ビルの2フロアを占める館内には会員向けの記者室や図書館、レストランやバーも併設されている。また、会員は貸し切りパーティーなどを開催することもできる。館内には下記の会員専用施設がある。従業員の殆どが英語、もしくはそれ以外の言語に堪能である。記者向けの部屋が用意されているほか、館内では無線LANが使用できるほか、コピー機やPC用電源や郵便受けなども用意されている。「正会員」、「プロフェッショナル/ジャーナリストアソシエート会員」、「アソシエート会員」、「外交官アソシエート会員」など複数の会員資格がある。いずれの会員資格も会員2名による推薦と入会審査委員会による審査を通過することが必要であるが、会員の国籍は問わないうえに、「日本記者クラブ」や、公的機関に置かれている「記者クラブ」とは違い、雑誌やウェブ媒体の記者や、フリーランスのジャーナリストの入会、加盟も可能である。2011年時点での会員総数は2130人。正会員である特派員など外国人ジャーナリストは約350人で、外国メディアの関心が日本から中華人民共和国などほかのアジア諸国にも広がったこともあり、特派員の数を減らしたり、「タイム」誌や「ニューズウィーク」誌のように経営難のために東京支局を閉鎖するメディアもあり、過去10年間に正会員数は20%減った。2015年9月時点での会員平均年齢は約62歳で、高齢化によるさらなる会員数減少が懸念されている。また、90日以内の短期で日本を訪問し活動するジャーナリストのための「ゲスト会員」制度もある。正会員とアソシエート会員は、映画「慕情」の舞台となったことで著名な香港の「香港外国記者会(フォーリン・コレスポンデント・クラブ)」や、ワシントンD.C.の「ナショナル・プレス・クラブ」などの世界各国の記者クラブを利用することもできる。週1-2回程度、内外の政治家や実業家、文化人やスポーツ選手など様々な人物を招いて会員向けに主催会見を行っている。なお会見は会見者の母国語や日本語、英語で行われ英語以外の言語で行われる際は英語の通訳がつく。質問を受ける人物は、英語を一言は話さなくてはならないというルールがある。会見には会員のみが出席可能である。招待される人物はその国籍や職業、所属母体や政治信条を問われず、また日本の大手メディア(報道)では取り上げられないような人物も招かれることも多い。また、日本記者クラブや各記者クラブに所属しているような日本の大手マスコミの記者ではなく、会見者とのしがらみのない外国人記者が会員の多くを占めることから、日本の大手メディアではタブー視、もしくは躊躇される質問も行われることが多いのが特徴で、その質疑内容が会員らによって諸外国のメディアに伝えられた結果、内外に大きな影響を及ぼすこともある。著名な例としては、1974年10月に月刊誌「文藝春秋」上でジャーナリストの立花隆により資金問題を追及された田中角栄首相が、同月22日に主催会見に招かれた際に会員記者からの質問攻めに逢い、その模様が国内外のメディアに流された結果、それまで田中首相の資金問題について取り上げることに躊躇していた日本の大手メディア(新聞やテレビ、通信社)も、資金問題を大っぴらに報道するようになった結果を呼んだと言われている。なお田中はこの時の資金問題追求による首相退陣から2年後の1976年にロッキード事件において逮捕、起訴された。会員の知識向上や親睦、日本の文化や経済、習慣への理解促進を目的に、内外の専門家を招いた勉強会や国内プレスツアー、各種パーティー、ライブイベント、内外の映画上映会や演奏会、きき酒会やワイン会など様々なイベントを行っている。ジャーナリストを目指す大学生や大学院生に奨学金を提供している。2008年のリーマン・ショック後に収支が悪化し、以後、経営側による一方的な就業規則改定や団交拒否などが発生。降格人事や手当カットをめぐる2012年2月の訴訟では、組合側が勝利和解した。2014年に公益法人化するにあたり、収益の半分以上を公的奉仕・活動に費やさなければならないという規定水準の達成を理由に、料飲部門を株式会社アラスカに外注化することを決定し、スタッフの大量解雇を表明した。組合側は、団体交渉で従業員の雇用の引き継ぎを協会側に要求したが、「誰を雇うかはアラスカが決める」と協会側が突っぱねたため、困った従業員らはアラスカにも団交を求めたが、同社代理人である弁護士名で拒否の文書が届き、話し合いに応じなかった。組合側は労働組合法違反(団交拒否など)にあたるとして、協会とアラスカの両者を相手取り、2012年5月に東京都労働委員会に救済申し立てを行ったが、これに対し協会が、飲料部門以外で働く人も含め、契約社員とパート64人を6月いっぱいで雇い止めすると通告したため、組合が反発し、ストライキを決行し大騒ぎとなった。協会は同年7月末に契約・パート社員36人の大量雇い止めを強行したため、解雇者のうち10人が東京地裁に仮処分を申請した結果、2013年6月に、契約社員の3人についての雇い止め無効を認める仮処分決定が出たが、他の仕事に就いているとして地位保全は認められなかった。都労委の場での和解協議も不調に終わったため、同年12月、雇い止めされた従業員と異動・降格により手当カットされた組合役員らを原告に本訴訟に踏み切った。また、理事会での公益法人化方針の決定や大量解雇、労組攻撃に対して同協会の元会長らによる訴訟も起こされた。2015年5月には、協会人事などを巡る不透明さへの反発から財務委員や会員資格審査委員など幹部が一斉辞任するなどの騒動があり、同年9月には、6月に選出されたばかりの役員がわずか3か月で突然変更された。従来、協会では投票権を持つ正会員が会長、第一、第二副会長、書記、会計、平理事4名を個別に選んでいたが、公益社団法人認定以来、正会員が選んだ理事9名の互選により会長以下を選出するシステムに変更され、6月に選出された理事は互選により役職が決定されていた。この新理事たちが協会改革を進めようとしたが、前政権の理事会記録等非公開協定により、必要な書類を閲覧できないなど停滞していたため、現状打開のために9月24日に再選挙が行われ、新会長にスリランカ人のスベンドリ・カクチが就任した。協会の透明化を図り、これまで欧米中心だった協会を東京にいるジャーナリストの現状に合わせてアジア中心に移してアジア・太平洋地域のジャーナリズムのリーダーを目指すという。
出典:wikipedia
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