LINEスタンプ制作代行サービス・LINEスタンプの作り方!

お電話でのお問い合わせ:03-6869-8600

stampfactory大百科事典

蕗ノ台駅

蕗ノ台駅(ふきのだいえき)は、北海道(空知支庁)雨竜郡幌加内町字蕗ノ台にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)深名線の駅(廃駅)である。電報略号はフキ。利用者減少により1990年(平成2年)3月10日に廃駅となった。この地は北海道大学農学部演習林と国有林の境界の国有林側にあたり、北海道庁が定めた植民地域からも外れていて、1929年(昭和4年)頃からの林業関係者の出入りが見られるだけの地域であった。当駅は隣の白樺駅と同様に森林資源の搬出が目的で開設されたとみられる。駅開設後も林業関係者のみが作業のために一時的に定住していたにすぎなかった。この地に開拓植民が行われたのは戦後間もない1946年(昭和21年)で、終戦に伴う緊急開拓政策の一環として、軍需産業から平和産業へ移行するにあたって人員削減の対象となった室蘭の日本製鋼所従業員家族の団体が、幌加内村から指定されて入植した。人口は1950年(昭和25年)の統計では167人であった。気象条件の激しさと農業に慣れていない者が多かったために農業収穫が悪く、1955年(昭和30年)頃から団体で内紛が表面化したこともあり、脱落離村が徐々に広がって人口が減っていった。一時期は当地に駐在する林業関係者により、隣の白樺駅と同程度の木材搬出があって、幌加内村内では朱鞠内駅に次ぐ貨物出荷量を誇ったが、その後農林産物の搬出や乗降客が激減してほとんど無くなった当駅は、1964年(昭和39年)に無人駅になった。さらに1972年(昭和47年)の夏、最後まで残っていた家族の離村によりこの地は無人地帯となった。1977年(昭和52年)から冬季休止の駅となり、1979年(昭和54年)までは翌年の3月31日、1980年(昭和55年)からは翌年の4月20日まで休止となった。晩年は臨時駅に降格となり、冬季休業中の1990年(平成2年)3月10日、雨煙別駅や政和温泉駅、白樺駅と共に廃駅となった。廃止時点まで、毎年12月1日 - 4月30日(1987年(昭和62年)までは4月20日)の間は全列車が通過していた上、白樺駅と共に冬眠する駅として有名だった。昭和30年代には電報取扱駅であったこともある。廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の西側(名寄方面に向かって左手側)に存在し、分岐器を持たない棒線駅となっていた。かつては島式ホーム1面2線に貨物ホームと貨物側線を有する列車交換可能な交換駅であった。1983年(昭和58年)時点ではかつての島式ホームの使われなくなった側の位置に相当する場所に、深川方、名寄方両側の分岐器が撤去された形で側線が1線残っていた。ホーム前後の線路は分岐器の名残で湾曲していた。無人駅となっており、有人駅時代の駅舎は撤去されプレハブの待合所を有していた。ホームはかつての土盛りから板張りの仮乗降場スタイルに変わり、冬季休業中ホームは撤去されるという移動式のものとなっていた。深川方(南側)にスロープを有し駅施設外に連絡していた。当駅の所在する地名より。地名は、当地が蕗の繁茂地であったことに由来する。開拓団が入植していた頃は駅周囲は「蕗の台第1区」と称して駅職員と林業関係者が占め、木工所や木材倉庫、日通営業所があり、1km程離れた所に蕗の台小学校・中学校があった。開拓団地は「蕗の台第2区」と称し、さらに離れた地域に住居と農地を構えていた。廃止時は民家は1軒も無く、附近一帯は山菜の宝庫であった。駅廃止後も当駅のあった部分の線路は湾曲したままであり、乗車していても駅跡が推測出来た。深名線廃止後は一時期、線路撤去作業の基地となっており、1999年(平成11年)9月時点では軌道が利用中で、撤去作業用のモーターカーが資材積み込み用の貨車を牽引して走行しており、レールや枕木が積み上げられていた。撤去作業用の線路は当駅跡から名寄方にも続いており、100mほど先にある「ウツナイ川橋梁」を過ぎて「第二雨竜トンネル」の中まで延びていた。2010年(平成22年)時点では作業は完了していた模様であった。また、上記の「第二雨竜トンネル」は2010年(平成22年)時点でも残存していた。太平洋戦争中には食用になる蕗を採取するための臨時列車も運行されたことがあった。

出典:wikipedia

LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。