水野 俊平(みずの しゅんぺい、1968年(昭和43年)1月5日 - )は日本の朝鮮語学者。北海商科大学教授。文学博士。野平 俊水(のひら しゅんすい)というペンネームで執筆することもある。「韓国で一番有名な日本人」と呼ばれた。北海道室蘭市出身。登別南高等学校を経て、1990年(平成2年)に天理大学外国語学部朝鮮学科卒業。韓国の国立全南大学校国語学部国語学科大学院に留学し、1993年(平成5年)に修士学位をとり、1995年(平成7年)に博士課程を修了、同大学の日本語学科非常勤講師として働き始めた。2001年(平成13年)に博士の学位を取った。1998年(平成10年)から、韓国にいる日本人識者として、しばしば韓国のテレビ番組に出演し、CMにも出演した。全羅道方言で韓国と日本のことをジョーク交じりで話すことが茶の間に受け「もっとも有名な在韓日本人」といわれた。その模様は、2005年(平成17年)2月6日に放送された日本のドキュメンタリー番組『夢の扉 〜NEXT DOOR〜』(第18回)でも紹介されたことがある。妻は韓国人で3人の息子がいる。2005年(平成17年)に韓国でネットへの投稿がきっかけでバッシングを受けた。「野平俊水」名義で日本で出版した本『日本人はビックリ!韓国人の日本偽史』の中に日本の右翼的な歴史認識に立った記述があると報じられた。そのため「親韓を装う裏で日本の右翼と手を組んでいる」と韓国のネチズンに批判され、韓国のテレビ番組でも「“極右ミズノ”の正体を暴く!」と採り上げられた。このため2005年(平成17年)2月に全南大学校を退官し、2006年(平成18年)に日本に帰国、北海商科大学で教授に就任し、朝鮮語を教えている。登別南高校の文芸部にいた時に、同級生から「これからはアジアの時代だ。アジアに羽ばたくのは水野、おまえしかいない」と言われた事がきっかけで、韓国にのめり込んだ。大学2年の時に先生に頼まれて、韓国から日本に来た慶煕大学女子ホッケー部の通訳を任された。韓国に留学すると、偶然、近くに天理大学に来ていた女子ホッケー選手の実家があり、1995年(平成7年)に結婚した。妻は完全に体育会系である。テレビ番組収録のため、週2回はソウルと光州を往復する生活が4、5年続いた。韓国生まれの長男は日本語が話せないので、ソウルの日本人学校に入れようとしたが、学校近くに住むために妻が子供を連れソウルに行った。ソウルで家を借りるために5千万ウォンの借金をし、テレビの出演料は全部消えた。指導教授からは「早く日本に帰って韓国語を教えろ」と言われもした。バッシングを受けて、テレビ出演が全くなくなった。大学講師だけでは、ソウルで子供3人抱えて生活できるだけ稼げず、精神的に苦しかった。テレビに出たことが、勉強に良くなかった。学者は論文を書くのが本分だから、「またテレビに出て」と誘われても「他の人にして下さい」と言っている。以下は野平名義以下は野平名義
出典:wikipedia
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