綾羅木郷遺跡(あやらぎごういせき)は、山口県下関市綾羅木にある、弥生時代前期を中心とする遺跡。 国の史跡に指定されている。本遺跡は標高20~30メートルの珪砂台地(綾羅木郷台地)上に位置する。弥生集落の人口は前期末にピークに達し、中期初頭に分村拡散によって縮小していった 。この集落は、出土の動・植物遺体から半農半漁の集落で、クジラ・タイ・多くの貝類、アワビオコシやヤスなどが生業をよく表しており、イノシシ・ニホンジカ・カモなどの遺体は狩猟活動も行っていたことがわかる。出土品・検出遺構の主なものとしては、弥生時代の環濠集落のものと思われる環濠や、多数の貯蔵穴、その貯蔵用穴から各種の土器や石器、少数の鉄器などが挙げられる。また、台地上には前方後円墳や墳墓の石棺などが残るほか、下関市内の別の場所から移された横穴式の円墳も存在する。台地上に複数の遺構が存在しており、その後の発掘調査において、古墳時代のものや、平安時代から鎌倉時代、室町時代にかけての遺構も検出されている。綾羅木郷遺跡の南側には下関市立考古博物館があり、綾羅木郷遺跡、延行条理遺跡、伊倉遺跡、その他近隣の遺跡からの各種出土品など発掘研究の成果が展示されている。1956年の発掘調査開始まもなく、ベトナム戦争の影響から、珪砂の輸入がストップしたため、綾羅木郷遺跡のある台地のさらに下層に埋まる珪砂の採掘作業が開始された。これに際して緊急発掘調査が実施され、保存運動が起こったものの、遺跡の保存計画が進まない間にも採掘作業は継続され、さらには1969年3月8日、遺跡の史跡指定による採掘作業の停止を恐れた業者により、未調査の部分を含む遺跡の破壊が行われた。駆け付けた調査関係者が工事を中断させたものの、これによって遺跡の南側部分はほとんど破壊されてしまい、北側の一部も失われてしまった。この事件は大きく報道され、事件から3日後の3月11日に至り、遺跡の一部が緊急に国の史跡として指定された。
出典:wikipedia
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