肥後田浦駅(ひごたのうらえき)は、熊本県葦北郡芦北町大字小田浦958番地にある肥薩おれんじ鉄道線の駅。相対式ホーム2面2線を有する地上駅。ホーム間の間隔は広く空いている。トイレは改札内・外にある。有人駅であるが土曜日のみの営業である。旧田浦町の中心駅であり、国鉄時代は東海カーボン田ノ浦工場従業員の利用者が多く構内で車扱貨物も取り扱っていたことから終日有人駅であったが、貨物取扱廃止と大幅乗客減により1985年に一旦無人化された。その後、田浦町からの請願もあり1987年にJR九州に分割民営化された際に再び終日有人駅に昇格し、2004年に肥薩おれんじ鉄道に経営が移管された後も平日のみ毎日8:30 - 17:00まで営業していた。しかし、2005年3月1日にたのうら御立岬公園駅が開業してからは利用客がそちらに移り、再び乗降客が激減したため、2007年10月1日から毎週土曜日のみ窓口営業の有人駅に格下げされた。かつては上下ホームの間に貨物列車用の中線が存在していた。また1984年2月1日の車扱貨物廃止までは駅西側の東海カーボン田ノ浦工場の車扱貨物の取り扱いを行っており、駅構内から工場に向けて数本の専用側線が敷かれ、貨車の入れ換えや原料や製品の貨物輸送が行われていた。上り線(八代方面)側の安全側線が他の駅よりも長いが、これはこの側線が工場への引き込み線や構内側線への貨車入れ換え線として使われていた頃の名残である。また、廃止されてからしばらくは線路が撤去されただけで専用線や施設の跡がはっきり残っていたが、跡地は2004年にJRからおれんじ鉄道に経営移管された頃に全て整地されて駅と工場の間に塀や道路が出来てしまい、現在は安全側線以外の痕跡はほとんど残っていない。東海カーボン田ノ浦工場の全身である東海電極田浦工場と田浦港は太平洋戦争時代は日本軍の主要な軍需工場や軍事物資の海上輸送拠点の一つだったため、戦時中だった1945年に実行されたアメリカ軍の熊本大空襲で駅舎や工場が3回に渡る空襲で大きな被害を受けた駅の一つである。この時の空襲の映像が現存しており、2013年12月に大分県宇佐市の市民団体「豊の国宇佐市塾」により初めて一般公開された。この映像では比較的大きな駅構内の様子や木造平屋建ての駅舎、工場内専用線や側線に留置された貨車や港に係留された輸送船などが確認できる。産交バスの田浦駅前バス停が国道3号上にあるが、少し離れている。開業時の地名(葦北郡田浦村)が由来。「田浦」は「広い田圃のある港」を意味する地名であり、古くは「田ノ浦」や「田野浦」と読まれていた。開業当時、すでに横須賀線に田浦駅が設けられていたため、当駅は熊本県の旧国名「肥後」を冠して「肥後田浦駅」となった。
出典:wikipedia
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