民主カンプチア(みんしゅカンプチア、 / Kâmpŭchéa Prâcheathippadey)、はかつてカンボジアに存在した国家。1975年4月にカンプチア共産党(クメール・ルージュ)を主力とするカンボジア民族統一戦線 (FUNK) によるプノンペン制圧により、事実上誕生した。いわゆるポル・ポト政権の正式名称。カンボジア全土を支配する政府としては、1979年1月のカンプチア人民共和国のプノンペン占領により崩壊した。その後亡命政府として存続し、国際社会の支援を受けカンボジア紛争を長期化させた。「民主カンボジア」とも表記される。政権時代には国民の総人口の30%~40%を殺害しカンボジア民族の絶滅の危機を起こした。政権時代: 1975年4月17日 ‐ 1979年1月7日国土全域が収容所化し、処刑場になった。国家機関、教育、医療、交通、文化、宗教あらゆる社会システムが破壊され機能を完全に停止した。在外公館の外交官、職員も帰国を強制され帰国後全て処刑された。政権期間中の閣僚名簿の閣僚のほとんどが就任時点で殺害されており、ベトナム侵攻時までに存命していたのは3名(ポル・ポトとポル・ポトの妻、そしてキューサムファン)である。オンカーパデワット(最高意思決定機関)という実態のない架空の言葉を使い、「オンカーからの指示である。」という口頭だけの指示命令を行っていた。ポル・ポトとキューサムファンの2人を頂点とした事実上のピラミッド型の恐怖独裁体制が特徴である。亡命政府 : 1982年7月22日 ‐ 1992年10月23日民主カンプチアをポル・ポトとシアヌークを支援していた中華人民共和国が国家承認し外交関係を結んだ。中国は数千人の顧問団を派遣し、兵器、水路の建設などを指導し対価としてカンボジア産の米をバーターで引き取った。プノンペンの中国大使館の周囲をバラ線等で囲い防衛していた。オーストラリア、イギリスなどいくつかの西側諸国は承認しなかったものの、アメリカや日本は国家承認し外交関係を結んだ。
出典:wikipedia
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