アジア横断鉄道(アジアおうだんてつどう、)は、国際連合アジア太平洋経済社会委員会 (ESCAP) の提唱しているアジア諸国の相互間およびアジアとヨーロッパを接続する鉄道路線網である。沿線国(アジア部分)は26か国、路線の総延長は81,000kmに及ぶ。アジア横断計画ではできるだけ各国の既存の鉄道路線を利用し、国境部分でそれらを接続することで路線網を実現しようとしている。主にコンテナ車からなる貨物列車が運行される。これにより、アジア諸国間やアジアとヨーロッパの間での貨物の輸送時間や費用が削減されることが期待されている。また内陸国から港への接続路を作り、地域の経済発展を支えることも計画の目的の一つである。なおイラク・シリア以南の西アジアは国連西アジア経済社会委員会 (ESCWA) の管轄のため、アジア横断鉄道の路線網には含まれていない。また太平洋諸国や日本、フィリピン、ブルネイといった島国も含まれていないが、スリランカとインドネシアには支線の一部が通っている。またブータン、ネパール、アフガニスタンには対象となる鉄道路線がない。計画には国際鉄道連合 (UIC) と OJSD (主に旧共産圏の鉄道事業者の組織)が協力している。アジア横断鉄道計画の障害の一つが軌間の違いである。横断鉄道の沿線諸国では主に4つの異なった軌間が使用されている。ヨーロッパの大部分とトルコ、イラン、中国、朝鮮半島では1,435mm(標準軌)、ロシアなど旧ソビエト連邦諸国とモンゴルでは1,520mm、南アジアでは1,676mm、東南アジアでは1,000mm(メーターゲージ)である。横断鉄道計画では既存路線の改軌はほとんど行なわず、コンテナの積み替えを機械化することで対応している。1960年、 ESCAP の前身の国連アジア極東経済委員会 (ECAFE) はイスタンブールとシンガポールを南アジア経由で結ぶ総延長14000kmの鉄道路線の計画を発表した。これがアジア横断鉄道計画の起源である。1976年のESCAPの会合では計画は港と内陸部の接続なども視野に入れたものに改められた。とはいえ、1960年代から80年代にかけては冷戦や沿線諸国の地域紛争などにより、路線の接続はほとんど進まなかった。1980年代末以降、国際情勢の改善やアジア諸国の経済発展により、横断鉄道の計画が再び注目を浴びるようになった。 ESCAP は1994年から2001年にかけて4つの回廊について調査・研究を行なった。また2003年から2004年にかけて数回にわたり国際コンテナ列車の試運転を行なっている。2001年までに以下の4つの回廊について、経路の選定、需要や所要時間・輸送コストの評価、問題点の指摘などの調査・研究が行なわれた。北部回廊 ("Northern corridor
出典:wikipedia
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