名古屋汎太平洋平和博覧会(なごやはんたいへいようへいわはくらんかい)は、1937年(昭和12年)の3月15日~5月31日まで名古屋市南区熱田前新田(現・港区港明)で行われた博覧会である。名古屋市では、1934年(昭和9年)に市の人口が100万人を突破するなど発展を続けており、市の宣伝のために博覧会を開くことが議会で発案されたが、1940年(昭和15年)に東京と横浜で紀元2600年を記念した万国博覧会が計画されていたことからそれに配慮して「汎太平洋」という名称になったという。なお、博覧会開催にあたっては、以下の3つの目的が掲げられた。「平和」を銘打ったもののこの博覧会は日本では第二次世界大戦前で最後の一大博覧会となり、終了2か月後には日中戦争が勃発している。建設されたパビリオンなどはほとんどが現存しない。現地に唯一残るものは運河を渡るために造られた平和橋(名古屋市の認定地域建造物資産)、また移築されたものでは徳川園の蘇山荘(旧迎賓館、登録有形文化財)がある。鉄道省は開催に先立って名古屋駅を移転・改築の上で周辺を高架化した上で、貨物線だった名古屋港線に最寄りの臨時駅として名古屋博覧会前駅を設置、名古屋駅との間にシャトル列車を運行した。会期の途中からは当時最新鋭のキハ43000形気動車も運用に加わっている。また、名古屋市電は博覧会に合わせて野立築地口線日比野 - 築地口間を3月に開業させている。この区間は名古屋市道江川線上に当たり、南北に分かれた会場の間を通過する形であった。このほか、この博覧会を期して周辺の鉄道事業者が製造した車両に以下のものがある。
出典:wikipedia
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