アナトリア語派(アナトリアごは、Anatolian languages)とは古代小アジア(アナトリア:現在のトルコ)で話されていたインド・ヨーロッパ語族の言語群で、すべて死語である。中でもヒッタイト語の資料が多く最もよく研究されている。その周辺で使われた言語もいくつか知られるが、これらについては資料が少ない。アナトリア語派はインド・ヨーロッパ祖語(印欧祖語)から最も早期に分かれたとの説が有力で、一部では「インド・ヒッタイト語族」という言い方もされる。この時期については紀元前4千年紀半ばとするクルガン仮説があるが、さらに古いとする説(レンフリュー説、また語彙統計学による報告)もある。クルガン仮説によれば、初期のアナトリア語派話者が黒海の北からアナトリアに移住したルートには2つの可能性がある:東のカフカス山脈を越えた可能性、および西のバルカン半島を経た可能性である。マロリーとスタイナーによればバルカン説の方がやや優勢である。彼らがアナトリアに入ったのは紀元前2千年頃、またはそれ以前といわれる。ただしコリン・レンフリューにより、印欧祖語の源郷をアナトリアとする説も提唱されている。この説をとれば移住を仮定する必要はない。その他アルメニアを源郷とする説をとれば、すぐ東から移動しただけということになる。他に、文字は残さなかったが、、カッパドキアやパンフィリアやにも同じ語派の言語があったようである。アナトリアは紀元前4世紀のアレクサンドロス3世(大王)による征服でヘレニズムに席巻され、この地域の土着言語は紀元前1世紀までには消滅したと考えられる。これによりアナトリア語派は知られている限り初めて消滅した印欧語族の語派となった(もう一つの消滅した語派であるトカラ語派は8世紀頃まで続いた)。アナトリア語派に由来する単語は現在のトルコ語にもごくわずかに残っており、特にシデやアダナなどの地名がある。このほかギリシアの一部地名の形(パルナッソスなどの語尾-ssos)についてもこの語派に由来するとの考えがある。ヒッタイト語は形態論的には他の古い印欧語より単純で、活用・格変化も語幹に接尾辞をつけるだけのものが多い。ヒッタイト語ではいくつかの印欧語の特徴が消え、他の系統では異なる特徴が発達したようである。一方ヒッタイト語には他の印欧語には消えた古風な点が多数ある。特に印欧語に特徴的な男性・女性・中性という性はヒッタイト語にはなく、代わりに生物・無生物という原始的な名詞クラスがあった。また他言語の比較からフェルディナン・ド・ソシュールにより予言された古い喉音がヒッタイト語には実際にあった。エトルリア語やエーゲ海諸語も関係があるとする説がある。エトルリア人が小アジアから来たとするヘロドトスの記述や人名の類似に基づくが、言語学的に同系とは認められない。
出典:wikipedia
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