突然ガバチョ!(とつぜんガバチョ)は毎日放送(MBS)ほかで1982年(昭和57年)10月5日から1985年(昭和60年)9月24日まで、毎週火曜日の22:00-22:54に放送されていた公開バラエティ番組。略称「突ガバ」。テレビ版「MBSヤングタウン土曜日」。全153回放送された。司会は笑福亭鶴瓶と長江健次。「ヤンタン」で人気が出た鶴瓶にとっては、全国区進出のきっかけを作った。さらに鶴瓶の一番弟子であり、レギュラーでもある笑福亭笑瓶にとっては「出世作」となり、やはり全国区進出のきっかけを作る。当時のJNN系列局における火曜22時台は、TBSはともかくMBSに限らず各局共通でTBS発をネットせず自主制作や他系列番組を編成しても構わない「自主編成時間帯(ローカルセールス枠)」とされ、いわゆる「ネットの縛り」の除外時間帯だった。本番組はこの時間帯に、基本的に関西ローカルで放送されていた。ただ他の一部地域でも放送されていた。関東地方ではTBSで1984年の一時期、木曜深夜に放送された。ネット開始時に長江が番宣番組に出演してアピールするものの、僅か4か月で打ち切られた。以来TBSでは、MBS制作の関西ローカル扱いのバラエティ番組の遅れネットでの放送は、2008年10月からよゐこ出演の『よゐこ部』を不定期放送(2009年4月からレギュラー放送)するまで行われなかった。番組は毎日放送千里丘放送センターで公開収録され、観客にはたこ焼きやコカ・コーラが振る舞われていた。また、エンディングのクレジット表示(エンドロール)では毎週、体中に大量の飴玉等を身に付けた鶴瓶と長江が観客と握手をした後、千里丘駅行きの送迎バス(北港観光バス)に乗った観客を見送っている映像が流れていた。なおその直前には観客が2秒ずつくらいしゃべる、またはパフォーマンスする枠もあった。鶴瓶が運転手の「つるべタクシー」に、ゲストのタレントが乗客という設定のトークコーナー。使用したタクシーの車両は日産・セドリック230型系4ドアセダン。外観の夜景はクロマキー映像を使用。客を乗せた後は毎回料金メーターを倒していた。オープニングタイトルは、夜10時頃の大阪駅中央口のタクシー乗場の実際の映像をバックに、「このコーナーはすべてノンフィクションであり、登場する人物・団体およびつい口をすべらした話はすべて真実です!」というテロップが表記された(ドラマの断り書きのパロディ)。鶴瓶のしゃべり始めは「お客さん、どちらまで?」で、カメラを引くと後部座席に乗ったゲストが誰なのかがそこで視聴者と観覧者に初めて分かる仕組み。ゲストには大物の俳優や歌手などが出演したこともあった。トーク番組は、司会者とゲストが向かい合わせで対談するのが基本だが、「つるべタクシー」では、ゲストが後部座席で運転手の鶴瓶と同じ方向を向いて、顔を合わせずにトークをするという、これまでのトーク番組では見ない企画であった。鶴瓶が「向かい合わせだと恥ずかしい」との意向から、テレビ史上初めて「顔を合わせない対談番組」と呼ばれるようになった。鶴瓶が読む視聴者から寄せられたギャグのハガキの内容を、スタジオの観客が笑わずに我慢するコーナー。まず鶴瓶が「テレビにらめっこ!」と言った時点で(画面右端上に、点線の丸囲みで「テレビにらめっこ」の顔の形に似せたタイトルロゴが表記される)、スタジオの観客は笑うのを我慢しなければならない。笑った観客は「指摘マン」に指摘され、その後「そこの方、笑いましたね。あなた退場!」という鶴瓶の指令により、「退場マン」と呼ばれる筋骨隆々な2人のボディビルダーに担ぎ出され、スタジオから退場させられる。担がれて退場の他、「乳母車の刑」や「ムキムキマシーンの刑」といった退場方法もあった。観客はもちろんだが、ゲストや番組スタッフ(カメラマンやディレクター)、指摘マン自身であっても最初に笑ったと指摘されたら「退場」である。そのため「投稿者VS観客・番組スタッフ」の一方勝負ともいえる。全くウケないネタもあり、20 - 30秒ほど沈黙が続いた後、笑っている者が誰もいないと鶴瓶が判断して合図をすれば、次のネタまで笑うことが許される。もちろん、次に「テレビにらめっこ!」と声がかかれば一切笑えなくなる。 その日最後のネタはがきの前にフライングをし、ムキムキマシーンに乗せられて退場させられた。多くの局ではTBS制作の「そこが知りたい」をネットしていたため違う曜日・時間帯に遅れネットで放送されていた。ただし、1985年1月1日放送分(全編生放送)に限っては同時ネットをした局が多く存在したようである。
出典:wikipedia
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