敦賀駅(つるがえき)は、福井県敦賀市鉄輪町一丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)・日本貨物鉄道(JR貨物)の駅である。日本海側の港町として栄えた敦賀市の中心駅である。駅前には都奴賀阿羅斯等(つぬがあらしと)の銅像、駅前通りには港町に因みヤマトよ永遠におよび、鉄道の町ということで銀河鉄道999の銅像がそれぞれ設置されている。北陸本線を所属線としており、当駅が起点となる小浜線を含めた2路線が乗り入れている。また、2つ隣の近江塩津駅から分岐する湖西線の列車も多数直通しているが、湖西線列車には近江塩津駅を通過する列車も多く、当駅が実質的な湖西線への乗換駅の機能を持っている。列車も湖西線経由と案内される。また、日中の北陸本線米原駅方面の普通列車(新快速を含む)は近江塩津駅発着のため、一旦湖西線経由の列車を利用して近江塩津駅で乗り換える必要がある。このほか、当駅からは敦賀港駅へ通じる北陸本線貨物支線(通称「敦賀港線」)が分岐している。この支線はJR貨物の第一種鉄道事業路線であるが、2009年3月いっぱいで貨物列車の設定がなくなったため、事実上休線となっている。なお、JR貨物は北陸本線(本線部)の第二種鉄道事業免許を有している。北陸本線有数の難所である柳ヶ瀬越え、杉津越えに南北を挟まれた駅であり、その歴史的背景から広大な敷地を有する。駅構内の東側には敦賀第一機関区と客貨車区が、また敦賀電化時には駅南側に敦賀第二機関区が設けられ、峠越えに備えた重装備のD51形機関車が多数配置され、機関車の交換やローカル列車の仕立てが多数行われていた。長時間停車の列車も多く、乗客がホームに出て休む姿も多かった。昭和30年代に入り近代化が行われ、「鳩原ループ線」および深坂トンネル・北陸トンネル建設による新線切り換え・複線化と交流電化が行われ輸送力の強化が図られた。現在は長距離列車の大半が交直流電車を使用する優等列車への置き換えられ、2015年3月13日の上り臨時寝台特急「トワイライトエクスプレス」を最後に、長時間停車する列車はなくなった。さらに、国鉄時代には特急列車も含めて当駅には全列車が停車していたが、民営化後は福井・金沢・富山方面への速達性を高める観点から、当駅を通過する列車も設定された。その後、電車化や貨物列車削減および民営化によって敦賀第一機関区は廃止、旧敦賀第二機関区はJR西日本の敦賀運転所となり、さらに組織変更が行われ福井地域鉄道部敦賀運転派出を経て、現在は敦賀地域鉄道部敦賀運転センター車両管理室となっている。交流電気機関車の営業用第一号となったED70 1号機は敦賀第二機関区に配置され、使用停止後も永らく敦賀運転所内に保管されていた(現在は長浜鉄道スクエアにて屋内展示)。なお敦賀地域鉄道部は、北陸本線の新疋田駅と小浜線の各中間駅を管理下に置いている。一方、貨物列車の中継としての機能もあった。前述の通称「敦賀港線」への貨物列車や専用線発着の私有タンク車による硫酸輸送等もあったが、現在は貨車継走はなく、旧機関区や側線群が整理され大きな未使用地になっている。なお、この場所は島式ホーム2面4線を持つ高架駅として計画されている北陸新幹線の駅用地などとして利用する構想がある。交流電化は当時最新の技術であったが、その後は直流区間への高価な交直流電車のやりくりができないなどのデメリットも出てきた。そのため、地域活性化の起爆剤として大部分の費用を地元自治体の負担により2006年に当駅以南の直流化を実施し、当駅まで新快速をはじめとする直流電車が乗り入れてくるようになった。新快速は湖西線経由の場合は近江舞子駅、米原駅経由の場合は彦根駅まで各駅に停車するが、案内放送や時刻表には「新快速 xxまで各停」と案内・表記している。またICOCAなどの各種乗車カードは利用できず、改札内の通路にはその旨を記した看板が掲げられている。なお、隣の南今庄駅とは、16.6㎞離れており、JR西日本管内では、最も、駅間距離が長い区間である。北陸本線の長浜駅と当駅までと、湖西線の永原駅と近江塩津駅までの直流電化への変更が滋賀県と福井県が主導となって決まり、2003年4月に工事協定を結び、同年10月26日に着工した。工事は2006年9月23日深夜から9月24日未明にかけて行われた電気設備切替工事をもって完了し、同年10月21日から京阪神方面との新快速をはじめとする直流電車の直通運転が始まった。これにより、朝8時台の福井行き1本以外の普通列車は、当駅で系統が分断された。従来は、北陸本線長浜駅 - 虎姫駅間と湖西線永原駅 - 近江塩津駅間にあったデッドセクションが、当駅北3.9km地点(北陸トンネル敦賀側坑口から200m)に移設された。ちなみにこの直流電化事業は、2003年完成の小浜線電化事業、計画中の琵琶湖若狭湾快速鉄道(リゾートライン)計画と共に「嶺南鉄道三点セット」と呼ばれている。また敦賀市都市計画マスタープランによると、北陸新幹線敦賀駅駅舎整備事業と平行して現在工場と農地が広がる木の芽川右岸を開発、中高層の高度利用も考慮した住宅地および商業地を整備する計画が存在するようだが、具体化に至っていない。完成から50年以上が経過し、一部で老朽化が進む駅舎について、バリアフリー化もあわせた改良が検討されてきたが、駅のホームが比較的軟らかい地盤の上にあることからエスカレータやエレベーターの設置が難しく、目に見える形で進んでいなかった。しかし、2009年から2010年にかけて敦賀市が事業主体となって駅舎改築が検討されていることが明らかになった。概要は以下の通り。しかし、2007年末頃から北陸新幹線の敦賀駅延伸を考慮し、「新幹線の状況が決まらない以上、駅舎改築には同意できない」とJR西日本が表明し、駅舎改築計画は事実上凍結された。その後、現駅舎を大規模リニューアルする案が浮上、2008年11月25日に開かれた「敦賀駅周辺整備構想策定委員会」でその方針が明らかとなった。概要は以下のとおりである。費用は約6 - 8億円と見込まれ、2009年度当初予算へ盛り込んでJR西日本が2009年度に着手するバリアフリー化工事と同時着手、2年の工期をめどに同時完成を目指すとしていた。その後、駅舎デザインに関して市民からの提案があり計画は少々延期されたものの、2010年5月頃から仮駅舎を建設、10月22日に仮駅舎の供用を開始した。旧駅舎(待合室辺り)は解体された後、敦賀市が2013年の完成予定で建設する。2014年4月5日 敦賀駅交流施設オルパークが供用を開始した。なお、これらのバリアフリー設備については2012年12月16日に供用開始された。島式ホーム3面6線と切り欠きホーム1線、合計3面7線のホームを有する地上駅。駅舎は構内の西側にある。1・2番のりばには小浜線、3 - 7番のりばには北陸本線の列車が発着する。4番のりばは、5番のりばの新疋田方を切り欠いてあるため、ホームの階段からさらに150mほど離れている。構造上は小浜線列車の発着も可能である。北陸本線の下り本線は3番のりば、上り本線は6番のりばであり、どちらも主に特急列車が使用している。小浜線の本線は1番のりばである。また、2番のりばは「小浜1番線」、4番のりばは「中1番線」、5番のりばは「中2番線」、7番のりばは「上り1番線」として扱われている。2006年9月24日に構内全域の電化方式が交流から直流に変更された。同年10月21日より、3番のりばの向かい側(旧4番のりば)が5番のりばに、切り欠きホーム(旧5番のりば)が4番のりばに変更された。ホームは改札口やコンコースより高い位置に設けられている。その構造であるがゆえにホームの周囲(特に東側)に風を遮るものがなく、特に冬は寒風に晒されるという難点もある。各ホームともカーブ状の線形に位置している。また、列車の通過速度は制限がかけられており、比較的速度を落とす。また、一部の特急電車は当駅でパンタグラフの昇降を行うほか、一部列車では乗務員の交代がある。当駅を通過する列車でも冬期に着氷の点検を行うときには運転停車を行い、ホームに待機している作業員が車両を点検、氷を落として発車する。客扱いを行う列車は乗降中に点検を行う。小浜線が電化するまでは金沢・富山方面へ向かう特急列車が2番のりばに到着し小浜線と同一ホームで乗換えができたが、電化工事が始まった2002年から、2番のりばを直流電化にするため、3番のりば発着になった。そのため、主に旧4番(現5番)のりばに発着していた上り特急列車も6番のりば停車に変更されている(ただし、当駅で機関車交換を行う上り寝台特急列車は現在も5番のりばに停車)。実際にホームの嵩上げが行われているのは、1・2・4番のりばのみであり、新快速も乗り入れ当初は4番のりば折り返しをメインにしていたが、現在は5番のりば折り返しの新快速が増えたため、福井方面の列車との乗り換えの利便性が高まった。旅客駅としてはJR西日本敦賀地域鉄道部の直営駅であり、みどりの窓口が設置されている。北陸新幹線の金沢 - 当駅間は2023年に開業予定である。ホームの位置は国道8号のバイパスを跨ぐ関係上、高さは24m(8階建てのビルに相当)、現駅舎のホームまでの距離は約200mで計画されており、利便性に関して指摘されている。構造は2面4線で計画されている。日中は北陸本線は特急が「サンダーバード」(一部の列車は通過)・「しらさぎ」とも毎時1本停車する。福井方面の普通列車・姫路方面の新快速とも毎時1本停車し、折り返す。朝晩には米原駅に行く列車や6時11分発の快速列車がある。駅舎の隣接地には、敦賀市が整備した交流施設「オルパーク」が所在する。敦賀市が整備する形で2014年(平成26年)4月5日に開館した施設で、駅機能の一部を補完し、且つ公民館の機能を持たせた交流施設として整備され、敦賀市が所有し、敦賀駅交流施設管理運営共同企業体(エコシステム、南洋ビルサービスによる企業体)が指定管理者として運営管理を行っている。東京大学教授で建築家の千葉学が設計し、1909年(明治42年)頃に建設された2代目駅舎のシルエットを基に「『過去と未来』が交わる創造的な空間」を原案としてデザインされた。愛称は一般公募から選定により決定したもので、「オル」は「人が集まって居る(おる)」とヘブライ語で「絆」を表す「ol」を表しており、「市民と来訪者が絆を深め、賑わいを生み出す」という理念が込められている。1階には休憩所(待合室)、総合案内所(観光案内所)のほか、テナントとしてコンビニエンスストア「セブン-イレブン ハート・イン JR敦賀駅店」(ICOCA電子マネー対応・セブン銀行ATMあり、営業時間 6時30分 - 21時00分)、駅弁「塩荘」売店(営業時間 7時00分 - 20時00分)、立ち食いそば店「気比そば・うどん あまの」(営業時間 7時00分 - 20時00分)、福井銀行のATMコーナーなどが出店している。2階には多目的室と休憩所が設けられている。バリアフリー対策としてエレベーター1基が設けられているほか、1階にはオストメイト対応の多機能トイレ、2階には授乳室が設置されている。近距離用の自動券売機は高額紙幣が利用出来ないが、金沢支社管内で最も早く自動改札に対応した近距離券売機である。高額紙幣で乗車券等を買う際にはみどりの券売機を利用する。同支社管内の直営駅では唯一、近距離用券売機上に掲げられている運賃表にアーバンネットワークのラインカラーが採用されているほか、掲載区間も従来より拡大されている。3番・5番のりば中央部、6番・7番のりば中央部にそれぞれ塩荘の売店と待合所がある。以前、改札口から連絡通路脇に小便小僧があり、鯉が飼育されていた。駅東側には広大な敷地が広がり、転車台や給水塔など歴史的価値のある構造物も現存している。現在、JR貨物の駅としては車扱貨物の臨時取扱駅となっており、貨物列車の発着は無い。貨物設備は無く、専用線も当駅には接続していない。最後まで使用されていた専用線は、東洋紡へ続くものであった。この路線は、浮島町駅から当駅まで輸送されてきたエチレングリコールを輸送するために使用されていたが、1996年頃に廃止された。また、当駅東側にあるJX金属敦賀リサイクル(当時は日鉱亜鉛敦賀製錬所)へ続く専用線もあり、黒部駅へ輸送する亜鉛焼鉱の搬出に使用されていたが、亜鉛製錬終了に伴い1995年10月頃に廃止された。なお、日鉱亜鉛から東洋紡績へ、といった同一駅構内間の輸送が行われていたこともあった。当駅から南に敦賀地域鉄道部および敦賀運転センター車両管理室がある。 車両基地である敦賀運転センター車両管理室構内にはJR貨物関西支社の乗務員区所である「敦賀機関区」が併設されている。北陸本線の上り列車で敦賀駅を発車して車窓右手側に確認できる。主な駅弁は下記の通り。販売は塩荘。1日の平均乗車人員は以下の通りである。改札口は西側のみで正面にバス・タクシーのりば、隣接して市営駐車場(有料)・駐輪場(無料)がある。駅前からは片側2車線の道路があり歩道はアーケード付き商店街となっている。なお、駅前を含む市街地全体がモータリゼーションにより活気が失われていることから、駅周辺の活性化のための再開発事業が行われている。公共施設製造業・研究機関商店街・主な商業施設主な宿泊施設金融機関など東側は木の芽川を挟んでいくつかの工場が立地している。駅前からは、線路を直接跨ぐ道路がないため迂回の必要があるが、北陸新幹線駅舎新設工事と併せて行われる予定の東口開発の際には、駅前通りをそのまま東に伸長し、国道8号敦賀バイパスに接続させる計画がある。※当駅に停車する特急「サンダーバード」(一部通過)・「しらさぎ」の隣の停車駅は各列車記事を参照のこと。
出典:wikipedia
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