ブラッカムの爆撃機(ブラッカムのばくげきき)は、ロバート・アトキンソン・ウェストールが書いた児童文学作品、または同作品が掲載された本の題名。原題は"Blackham's Wimpy"。Blackhamは登場人物の名で、Wimpyとはウェリントン爆撃機を示す通称。発表されたのは1982年。翻訳は金原端人。
作者のウェストールはイギリスの高名な児童文学者であり、本作品も児童文学の短編として書かれている。それゆえ平易な文章で凝った表現などはなく、また短編であるので話の長さも短めであるが、作戦行動中の爆撃機内部や登場人物の心理表現などは臨場感があったり、分かり易い描写となっている。第二次世界大戦下のイギリス空軍爆撃隊が舞台で、戦争の酷さを感じさせられる内容であるが、反戦を主張する文学とは異なる。ウェストールは他にも戦争を扱った作品をいくつも書いており、同様の傾向はすべての作品に概ね共通している。爆撃機やヨーロッパの航空戦について特に知識がなくても十分に楽しめるが、第二次世界大戦の戦略爆撃や各国空軍、爆撃機について知識をつけてから読むとより理解し易い。(注:"C"は個別の機体を判別する為に割り振られるアルファベット。以下同様)イギリス空軍の爆撃機無線手ゲアリー軍曹が、彼の仲間と一緒に酒場で飲みながら語り合っている。仲間から爆撃機の任務についてたずねられたゲアリーは、彼が初めて爆撃機の任務についた南オードビーでの出来事について語り始めた。1943年1月、新米航空兵のゲアリーは仲間のマット、ビリー・ザ・キッド、キット、ポールらと共に南オードビーの基地に駐屯する爆撃隊に編入された。基地に到着した日にL機の搭乗員と親しくなるが、彼らは爆撃から帰還する時の事故で全員死亡してしまい、初っ端からゲアリーらは爆撃隊の厳しい現実を知る。基地に到着した翌日、ゲアリーらが自分達が搭乗する爆撃機を格納庫で見ていると、そこへ1人の男がやってくる。彼の名はタウンゼンド。大尉で、英国本土防衛戦の頃から飛び、数十回の出撃をこなしてきた歴戦の爆撃機パイロットであった。よれた制服と体によく馴染んだ飛行服が、彼の経歴を物語っている。まもなくタウンゼンドの優れた能力を知ることとなったゲアリーらは、彼を親父と呼んで親しむようになる。ある日、いつものように夜間爆撃に出撃した帰りのこと。ゲアリーらC機は同僚のブラッカム軍曹が機長を務めるS機と並行して飛んでいた。ブラッカムは下品な言動で基地では有名な存在だ。そこへ彼らを追撃するためにドイツ空軍のユンカースJu88夜間戦闘機がやってくる。胴体部に斜め上方へ向けた機銃を持つユンカースはS機を撃墜しようと、その後ろ下方の位置につけた。真っ先に気づいたゲアリーがS機に無線で警告を発するとS機は急速に旋回しながら急降下し、S機の尾部銃座がユンカースを攻撃。弾丸は見事に命中し、ユンカースは火を噴きながら迷走飛行し始める。C機にはドイツ機の周波数に合わせた無線機が搭載されており、そこに迷走するユンカースからドイツ兵の叫び声や、苦痛に満ちた声が入ってくる。敵とはいえ死に至る人間の苦痛の様を間近で感じたゲアリーらC機クルーは、死に行くドイツ兵を口汚く罵くブラッカムらの方にこそ敵意を持ちつつ、自分達のやっていることの酷さを感じて落ち込まずにはいられなかった。部下の意気消沈ぶりを理解したタウンゼンドは、馴染みの農場でゆったりと過ごす時間を部下達に与えることで、心を癒して立ち直る機会を持たせた。ゲアリーらは農場での休息によって心の平衡を持ち直す。それからしばらくした後、S機に奇妙なことが起きる。基地に帰還したS機の中で尾部銃手のジェレイニアムが拳銃で撃たれて死亡しており、ブラッカム軍曹は操縦席に座ったまま正気を失っていた。他のクルーは機内に見当たらなかったが、基地にいたる途中で地面に落ちて死んでいるのが見つかる。低高度で機から脱出したために、パラシュートが開く間もなく地面に激突したのだった。だがS機自体には脱出せねばならぬような異常も見当たらない。結局、S機で唯一生き残ったブラッカムも精神病院送りになってしまい、S機は予備機体とされた。奇妙なことはこれだけで収まらなかった。格納庫に収められたS機は基地の全員にとって不吉なものを感じさせていたのだが、予備機となったS機で出撃した搭乗員は帰還後に全員様子がおかしくなり、精神の平衡を失って次の任務で死亡することが増えたのだ。S機で出撃した者は口を揃えて無線の不調を訴えるが、無線機自体におかしなところは見当たらない。基地の全ての搭乗員はS機を敬遠するようになり、なるべく乗らなくても済むように色々と小細工をするものも出てきた。この異常事態に際し、司令官の大佐はタウンゼンドにS機での出撃を命じる。奇妙な基地の雰囲気を覆すために。ダウンゼンドは部下にS機での出撃を命令しないことで手を打つが、ゲアリーらは「親父」について出撃することを決意する。そして彼らはS機で出撃し、なぜブラッカムらがおかしくなったのかの理由を知るのだった。イギリス空軍は戦争が始まった頃は昼間爆撃を行っていた。昼間は目標を視認し易いので爆撃精度は高まるものの、敵に発見されやすく、また爆撃機の飛行性能もそれほど高くなかったために大きな損害を出すことがあった。そこでイギリス空軍は方針を転換し、命中精度は劣るものの敵に発見されにくい夜間爆撃に重点を置くようになる。このようなことから、イギリスは一定の地域を目標として無差別に爆撃する地域爆撃を実施した。「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」のようなものである。これは敵国民間人の犠牲を全く厭わない攻撃であり、当時のイギリス国内においても倫理的な疑念がもたれていたが、ドレスデン爆撃など都市そのものを狙った無差別爆撃も行われた。ゲアリーらが行ったのもこのような地域爆撃である。
一方でアメリカ陸軍航空隊は的確に敵の継戦能力を削ぐことを重視し、敵の生産施設施設を確実に破壊する爆撃精度を確保するため、危険度の高い昼間爆撃を重視した。ドイツ空軍戦闘機隊総監アドルフ・ガーランドは自著「始まりと終わり」において、昼間爆撃と夜間爆撃にはそれぞれ一長一短があるとした上で、それぞれの利点を生かそうとする米英両空軍の判断が、結果的にドイツ空軍とドイツを24時間悩ませることになったと評している。第二次世界大戦ごろの戦争を通して見ると日本軍による重慶爆撃、アメリカ軍による東京大空襲や広島と長崎への原爆投下、ドイツのV2ロケットを使ったロンドン空襲など、民間人の犠牲を厭わない戦略爆撃は主流であった。しかし各国の戦略爆撃の、特に民間人に犠牲を強いる人道上の問題は今日に至るも論争の的であり、アーサー・ハリス卿に対する評価も未だに賛否両論が分かれている。日本で最初に刊行したのは福武書店で、1990年であった。本には「ブラッカムの爆撃機」の他に「チャス・マッギルの幽霊」を収録。これは絶版になったが、2006年に岩波書店から再び発行された。以下は岩波書店の物について紹介する。
出典:wikipedia
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