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東急大井町線

大井町線(おおいまちせん)は、東京都品川区の大井町駅と神奈川県川崎市高津区の溝の口駅とを結ぶ、東京急行電鉄(東急)が運営する鉄道路線である。路線図や駅ナンバリングで使用される路線カラーは橙色、路線記号はOM 。世田谷線・東急多摩川線をのぞき、南北放射状に伸びる東急の各線(田園都市線・東横線・目黒線・池上線)との乗換駅が存在する。1993年以降、田園都市線の混雑緩和のために同線のバイパス路線としての機能を持たせる改良工事が行われた。一部列車で、田園都市線鷺沼・長津田方面との直通運転を実施している。二子玉川から溝の口の間は正式には田園都市線の複々線区間である。公式サイトの路線概要では二子新地駅・高津駅は含まれておらず、これらを含むと18駅になる。大井町線は、品川・大田・目黒・世田谷の各区の住宅密集地を走っている。また、東横線と接続する自由が丘や田園都市線と接続する二子玉川駅周辺は「住みたい街ランキング」の上位に顔を出すこともあるほどの人気がある。起点の大井町を西に向けて高架で出発する。右手には東日本旅客鉄道(JR東日本)の東京総合車両センターおよび同社の社宅があり、山手線用の電車などが留置されている姿が見える。下神明の西端では、足元を品鶴線(横須賀線・湘南新宿ライン)が、頭上を東海道新幹線が通る3層の立体交差となっている。なお、品鶴線のこの地点は旧蛇窪信号場にあたる。右に都立大崎高校を見て進み、左カーブに差しかかるところが戸越公園。上り勾配で国道1号を跨ぐとそのまま高架の中延へ。その国道1号の地下を都営浅草線が通っているが、一旦改札を出て乗り換えが可能である。またこの区間は東急線で最初に立体化された区間でもある。一旦地平に下りた荏原町では、暗渠化された立会川が直下を流れる。再び高架に上がると池上線を跨ぐ旗の台である。旗の台を出ると中原街道と環七通りを相次いで跨ぎ、北千束を経て地下構造の大岡山へ進入する。目黒線と合流し、方向別ホームとなっている。駅前には東京工業大学が、駅の直上には東急電鉄直営の東急病院がある。駅を出ると右に大きくカーブしながら地下から一気に高架へ上るが、気象条件次第ではここから富士山を望むこともできる。カーブが終わると緑が丘。なだらかに下り、東横線をくぐるところが自由が丘である。かつては隣接して自由が丘検車区があったが、急行運転開始に先立ち、ホーム延伸工事に伴い段階的に撤去され、5両編成1本分の留置線を残し、その跡地は商業施設である「Trainchi」(トレインチ)に変わった。2007年11月15日をもって平日夕方1本のみ設定されていた自由が丘行も廃止され、留置線も完全に撤去された。その後、2009年までに5両編成1本分の留置線が復活・併用開始し、日中に車両が留置されている。自由が丘からしばらく直線に進み、右にカーブすると九品仏である。駅北側の浄真寺に安置される「九品仏」(9体の阿弥陀如来像)が駅名の由来である。構内の両端が踏切道であるため、二子玉川寄り1両は扉を開閉しない。尾山台は東京都市大学(旧武蔵工業大学)世田谷キャンパスの最寄り駅である。等々力の手前で目黒通りが頭上を越える。九品仏 - 等々力間はほぼ直線で、隣の駅が見通せる。等々力 - 上野毛間では東京23区で唯一の渓谷である「等々力渓谷」を形成する谷沢川が左を並行し、両駅の中間付近で交差して北に流れてゆく。切り通しに位置する上野毛では、頭上を環八通りが跨ぐ。周辺は国分寺崖線に位置し、五島美術館や多摩美術大学上野毛校舎などもあって緑が多い。切り通しを抜けると、二子玉川駅から多摩川河川敷へかけての街並みが一望できる。大きく左へカーブして渋谷から来る田園都市線と合流し、二子玉川の2番線に到着する。二子玉川からは、田園都市線の複々線のうちの内側2線を走行し、溝の口に至る。内側線には途中の二子新地駅・高津駅にホームがないため、一部の各駅停車は二子玉川 - 溝の口間では田園都市線の線路である外側線を走行する。詳細は各駅停車の節を参照。急行と各駅停車が運転されている。大部分は大井町駅 - 溝の口駅間の折り返し運行となっているが、朝夕や土曜・休日には一部に田園都市線直通列車があり、鷺沼駅・長津田駅・中央林間駅発着で運転される。2008年3月28日より運転を開始した。なお、急行は戦前の一時期にも運転されていた(後述)が、それとは全く異なるものである。全列車が6000系6両編成で運転されるが、車両故障および定期検査で運用する編成が不足する場合や、事故・各種トラブルなどでダイヤが乱れた場合は各駅停車専用の車両を用いて5両編成で運転することもある。平日はほぼ全日、土曜・休日は日中のみ運転される。平日朝ラッシュ時はおおむね12分間隔(各停3本に対して1本)、平日の日中・夕ラッシュと土曜・休日の日中はおおむね15分間隔(各停2本に対して1本、平日夕ラッシュは各停3本に対して1本)で運転される。駅の発車標や電車の種別・行先表示器のLEDでは、赤地に白文字で「急行」と表示される。大井町駅 - 溝の口駅間の運転が基本であるが、平日の上り朝・下り夜と土休日の毎時2本は大井町駅 - 田園都市線長津田駅間の運転となる。土休日には中央林間発大井町行きが2本運行されている。これらの列車は田園都市線内でも急行で運転され、大井町線 - 田園都市線間の転線を二子玉川駅で行う。ただし、田園都市線が人身事故・各種トラブルなどで急行運転を取り止めた場合、田園都市線内は各停で運転されることがある。なお、大井町線内の途中駅を始終着とする列車は設定されていない。途中停車駅は他の東急各線との連絡駅のみで、東急線全体のバイパス路線という大井町線の性格がよく反映されている。上下とも旗の台駅で各駅停車に接続するほか、上りのみ平日朝夕ラッシュ時には上野毛駅で各駅停車を追い抜く。田園都市線直通列車はこれに加え二子玉川駅・鷺沼駅・長津田駅で田園都市線の各駅停車に接続する(朝夜間は一部接続・追い抜き駅が異なる列車もある)。また、日中の急行(田園都市線直通を除く)は、二子玉川駅・溝の口駅で同方向の田園都市線の優等列車(平日は急行、土休日は準急)に接続している。設定当初はほとんどの列車が線内(大井町駅 - 溝の口駅間、2009年7月10日までは大井町駅 - 二子玉川駅間)での運転で、田園都市線と直通運転する列車はごく一部だった。2011年には東日本大震災後の一時期、節電のための臨時ダイヤとして平日日中の急行が田園都市線長津田駅まで乗り入れて運行された。2012年3月17日より土休日日中に1時間あたり2本が溝の口駅発着から長津田駅発着に延長され、定期列車として日中の田園都市線直通急行の運行が開始された。なお、一時期には夜間に田園都市線鷺沼駅行きの下り急行が設定されていたが、長津田駅行きに延長される形で廃止された。5両編成が使用される。大半の列車は大井町駅 - 溝の口駅間の運転である。また、早朝・深夜には田園都市線鷺沼駅発着の列車が、始発・終電に各1本二子玉川駅発・着の列車が、平日朝に1本自由が丘発の列車が、それぞれ設定されている。一部の列車は旗の台駅での急行を待ち合わせをするほか、上り(大井町方面行き)のみ朝や夕方に上野毛駅で急行の通過待ちを行う列車が存在する。一部の各駅停車は二子新地駅・高津駅を通過するため、種別色により区別して案内されている。なお、種別色が緑の各駅停車の方が多く運転されており、種別色が青の各駅停車は、日中1時間あたり4本と早朝・深夜時間帯に運転される少数の田園都市線鷺沼発着の列車のみである。駅の発車標や電車の種別・行先表示器のLEDでは、緑の各駅停車は白地に緑枠・緑文字で「'」、青の各駅停車は青地に白文字で(正確には白枠で囲まれて)「'」と表示される。駅構内自動接近放送や電車内の放送で、二子新地駅と高津駅に停車するか否かの案内がある。溝の口方面行きの時には駅構内自動接近放送は「まもなく○番線に各駅停車××行がまいります。」というアナウンスの後、緑の各駅停車は「二子新地・高津にはとまりません」、青の各駅停車は「二子新地・高津にとまります」と案内放送が流れる。なお、溝の口発の大井町線接近放送は「高津・二子新地…」と言い回しが逆になる。二子新地駅・高津駅を通らない二子玉川駅始発・終着の列車については種別色が緑の各駅停車として運転される。二子新地駅と高津駅は大井町線の駅ではなく、厳密には田園都市線のみの駅であり、種別色が緑色の各駅停車が本来の大井町線である。前述したように、種別色が青の各駅停車は二子玉川駅 - 溝の口駅間で田園都市線の線路に乗り入れる形をとっているため「田園都市線経由の大井町線」という扱いであり、車両の自動放送や一部の車掌は「田園都市線経由」とアナウンスしている。2009年7月11日に二子玉川駅 - 溝の口駅間が延伸開業するまでは、種別色での表示・案内には青色のみが使用されていた。1943年の溝の口線編入から1979年までは、大井町駅から二子玉川園(現・二子玉川)駅を経由し、二子玉川園駅以西の現在の田園都市線区間へ運行する形態が基本的な運行であった(なお、1963年から1979年までは大井町駅 - 二子玉川園駅間も「田園都市線」の路線名であった)。その後、新玉川線(現在の田園都市線渋谷駅 - 二子玉川駅間)の開業後に二子玉川園駅以西からの一部列車が新玉川線渋谷方面へ直通するようになる。1979年には、大井町線の分離によって逆に一部をのぞき二子玉川園駅以西へは運転されなくなり、大井町駅 - 二子玉川駅園の運行が基本となった。1979年の系統分離以前には快速列車が運転されていた時期があったが、快速運転は二子玉川園駅以西で行われ、現在の大井町線にあたる大井町駅 - 二子玉川園駅間ではすべての列車が各駅に停車していた。1979年8月12日から2008年3月27日までは全列車が各駅停車であった。田園都市線と直通する急行列車が2002年と2003年に臨時列車として、2006年3月18日からは土曜・休日のみの定期列車として運行を開始したが、これも2008年3月28日の大井町線の急行運転開始より前は大井町線内は各駅停車として運転し、田園都市線内のみ急行として運転した。なお、直通急行の定期運用化の時期に、田園都市線内での誤乗を防ぐため、一部編成をのぞき先頭車の前面下部と側面のドアと窓の間に大井町線のロゴ入りステッカーが貼り付けられ、帯のデザインも大井町線のカラーのオレンジのグラデーションに変更された。この時に施行されなかった編成についても大井町線内急行運転開始時に施行された(8000系をのぞく)。2008年3月28日に線内での急行列車運転が開始された。また、2009年7月11日に二子玉川駅 - 溝の口駅間が延伸開業し、現在の運行形態が形作られた。(改良工事の節も参照)大井町線では戦前の一時期に急行列車が運転されていた 。これは二子玉川 - 大井町間で運行されるの列車のうち、朝間の上りと夕方の下りに荏原町 - 大井町間を通過運転するものであった。古い事柄のため運転開始時期は不明であるが、1936年(昭和11年)4月1日のダイヤ改正で廃止されている。この急行には、車両の前面向かって右側(東横線系統は前面向かって左側 )に急行板が掲出されていたが、「急行」表記のほかに「通過駅 中延 蛇窪 戸越」と表記されていた。なお、この表示の「戸越」・「蛇窪」はそれぞれ、現在の下神明駅・戸越公園駅のことである。大井町線では、1993年以降大規模な改良工事が行われた。これは、大井町線に田園都市線のバイパス路線としての機能を持たせることで、混雑が激しい同路線の混雑緩和を図るものである。東急大井町線改良・田園都市線複々線化工事(溝の口 - 二子玉川間)を実施し、以下の工事を行っていた。等々力駅以外はすべて完工している。さらに、急行運転開始に伴う安全性向上と列車運転間隔の短縮のため、2008年2月23日に自動列車停止装置 (ATS) から自動列車制御装置 (ATC-P) へ保安装置が更新された。前述の通り、田園都市線の混雑緩和を目的とした特定都市鉄道整備事業計画の認定を1995年に受け、「大井町線大岡山 - 二子玉川園(当時)間改良工事および田園都市線二子玉川園 - 溝の口間複々線化工事」として工事が進められた。当初は、上記の事業名称にもある通り大井町線内の改良区間は大岡山から二子玉川までで、急行運転も同区間のみとされた。また、急行待避設備は等々力駅に上り(大井町方面行)、尾山台駅に下り(溝の口方面行)に急行通過線を上下線別々に設置し、同時に両駅を地下化する計画であった。しかし、2000年に計画が変更されて改良区間に大井町 - 大岡山間も追加され、これにより大井町線改良工事は同線全区間が対象となった。同時に、前項で述べた急行通過線は、上下線ともに等々力駅に集約・設置するように変更されたTOKYU NEWS 2000/11/17 特定都市鉄道整備事業計画を変更「大井町線改良工事ならびに田園都市線複々線化工事」。東急電鉄ウェブサイトによると、急行運転は本来ならば2004年の開始を予定していたが、用地買収が難航していることなどから2007年に延び、その後2007年度内に急行運転開始することを発表した後、2008年度内に溝の口駅までに延伸させる計画が発表された。そして、2008年3月28日から大井町線内での急行運転を開始し、その後、溝の口延伸は2009年6月との発表があったが、実際にはさらに延び、7月11日となった。工事完成後、大井町線が溝の口駅まで延伸された。二子玉川 - 溝の口間は複々線となり、外側2線は田園都市線、内側2線が大井町線である。なお、同区間の途中にある二子新地と高津の両駅は、外側の田園都市線にのみホームがある。このため、両駅は田園都市線のみの駅として扱われ、大井町線の駅ではないとされる。前述の通り各駅停車の列車は2系統になる。二子玉川 - 溝の口間で大井町線の線路を走行して高津・二子新地の両駅を通過する各駅停車は種別色が緑となり、二子玉川 - 溝の口間で田園都市線の線路を走行して高津・二子新地の両駅に停車する各駅停車は種別色が青となる。種別色が青の各駅停車は、この複々線区間で田園都市線の線路に転線しているため、厳密には途中で田園都市線を経由して走行していることになる。この改良工事に対して、とりわけ等々力駅周辺で反対運動が起きている。主な反対の理由は「等々力駅周辺の地下化によって東京23区内唯一の渓谷である等々力渓谷の湧水が妨げられ、渓谷の自然が破壊されるおそれがある」との観点である。このため、世田谷区を中心として等々力駅地下化工事技術検討委員会が設立された。同委員会は工事によって環境影響が生じないように第三者的立場から技術的検討を行い、2005年12月に報告書を提出した。2016年9月現在も等々力駅地下化工事は着工されていない。また「大井町線に急行は不要である」という独善的な観点からも反対運動が起きている。以上の理由から、環境影響評価に伴って等々力駅地下化工事は着工できずにおり、仮に着工されたとしても相当な時間を要することが予想されることや、かつ急行運転開始を2007年度内に間に合わせるために、急遽計画を一部変更して上野毛駅上り線(大井町方面行)に急行通過線が追加された。なお、あくまでもこれは暫定的な措置であり、将来等々力駅地下化工事が完成した際は、上野毛駅での待避は行われない予定である。ただし、等々力駅での待避に移行された後も上野毛駅の急行通過線は撤去されず、何らかの形で使用を続けるとしている。2013年時点で営業運転に使用している車両を記載する 。車両のパンタグラフはすべてシングルアーム式となっているが、6000系以外は当初菱形のものを装着しており、後年にシングルアーム式に交換された。また、5両編成は全編成とも前面帯が後年にグラデーションタイプのものに張り替えられ、側面ドア横には「大井町線」のシールが貼られている。6000系には貼られていない。九品仏駅では二子玉川寄りの1両がドアカットを実施している。そのため、ドア非扱い装置を設置しているほか、ドアとその上部にはドアが開かない旨のステッカーを貼り付けている。なお、かつて大井町寄り2両のドアカットを行っていた戸越公園駅についても、同様にドアとその上部にドアが開かない旨のステッカーを貼り付けていた。両駅を通過する急行のみで運用される6000系はドアカットを行わないため、ドアカットのステッカー貼り付けも行われていない。大井町線では、2006年3月の田園都市線直通急行定期運転開始の際に一部編成で各駅停車の表示を開始したものの、大井町線内急行運転開始を経ても全編成では表示を行わず、溝の口延伸までに全編成が各駅停車表示を行うようになった。なお、車両の行先表示器は2008年以降すべて字幕式もしくはフルカラーLED式の2種類となり、2013年以降は全車がフルカラーLED式となった。これは溝の口延伸の際に2種類の各駅停車の運転を開始したため、3色LED式では表示に対応することができないためである。なお、非常時に急行に充当されることも考慮し、全編成急行表示に対応している。1979年(昭和54年)8月の田園都市線・新玉川線(当時)と大井町線との運転系統分離時には、東横線を含めた大規模な車両の転配が行われた 。大井町線という名称の復活した同時点ではデハ3450形5両編成、初代5000系5両編成、8000系5両編成の3系列が配置されていた。この時点での大井町線の冷房車は全23編成中わずか2編成(8000系)であった。1980年(昭和55年)には東横線から7200系が5両編成として転入した 。1981年(昭和56年)3月には東横線から初代6000系が転入し、同年4月1日からは初代6000系・7200系中型車(18m車)による6両編成運転が開始された 。これに伴い、デハ3450形は運用を終了し、大井町線は全車両が高性能車となった。1981年(昭和56年)12月には7000系が6両編成として転入するなど 、しばらくの期間は大型車(20m車)5両編成と中型車(18m車)6両編成との混用が続いていた。最終的には、東横線から8090系が転入することで中型車(18m車)による6両編成の運転は、1989年(平成元年)1月26日のダイヤ改正に合わせて20m車5両編成に統一され消滅した 東京メトロ車両の入出場回送のルートとして同線の二子玉川-大岡山間が使われることがあり、同社の03系・8000系が入線することがある。

出典:wikipedia

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