ジャドーズ(JADOES)は、和製ソウルファンクバンド及びコントグループ。ヴォーカル&ベースの藤沢秀樹は、後にダンス☆マンとしての音楽活動を行っている。パーカッションの斎藤謙策は、アニメ主題歌の製作やラジオレポーターとして活躍している。元メンバーでドラムスの島村幸男は、ジャドーズでの活躍以前はフュージョンバンド、カシオペアの専属ローディーをやっていたこともある。現在はラジオDJやナレーターとして活躍している。藤沢 秀樹(ふじさわ ひでき、1963年10月12日 - )斎藤 謙策(さいとう けんさく、1963年2月4日 - )島村 幸男(しまむら ゆきお、1963年12月20日 - )伝田 一正(でんだ かずまさ、1963年12月9日 - )平間 あきひこ(ひらま あきひこ、1964年11月3日 - )渡部 達也(わたなべ たつや、1968年4月1日 - )酒井 彰(さかい あきら、生年月日不明)1984年結成。元々は獨協大学と立教大学の学生ノリのバンドだったが、ライブのMCでやったモノマネ芸が受けて、1986年のレコードデビュー以前からオールナイトフジなどでお笑い芸人としても一世を風靡した。「じゃじゃじゃじゃじゃじゃじゃじゃじゃんッ!」というブリッジのフレーズで繋ぐ一発芸が得意。荒井注、遠藤周作、長嶋茂雄、紙を破る音のマネなどを見せた。小森のおばちゃまのモノマネで歌うチャカ・カーンの「I FEEL FOR YOU」などがある。この当時交友を持っていたお笑い仲間には、かけ出し時代のウッチャンナンチャンなどがおり、彼らとは特に親しくて「お笑い×音楽&お笑い」という対バン型式でライブをやったり、ウッチャンナンチャンがテレビ番組などでレギュラーを持つようになると、ジャドーズが番組に幾度もゲスト出演したりし、番組が「企画モノ」で出すCDの音楽ブレーンになったりするなど現在に至るまで親交がある。ラジオ番組『斉藤由貴 ネコの手も借りたい』(ニッポン放送)のオープニングにおいてパーソナリティの斉藤由貴とともにミニドラマ(コント)も行っていたことがある。お笑い芸人グループとして注目を浴びていた彼らは、1985年のある日、音楽活動でのデビューをはかりたいばかりに、彼らが音楽面で尊敬してやまなかった角松敏生の自宅の郵便受けに直接デモテープとプロフィール表を投函。それには「今度、×××というテレビ番組に出ますんで観て下さい」とも書かれてあった。突拍子もない彼らの存在に角松敏生は度肝を抜かれたが、これに応えてジャドーズのプロデュースを請け負い、1986年11月、日本コロムビアからシングル「FRIDAY NIGHT」とアルバム『IT'S FRIDAY』で晴れて音楽バンドとしてデビューを果たす。それまでの角松は杏里や西城秀樹などのプロデュースには関わっていたが、全くの新人は初めてであった。しかし、シングルはおろかアルバムまでセールス面では不調。ジャドーズはマイナーバンドの道を歩み出してしまう。それでも、ジャドーズは角松のプロデュースにより、先述したデビューアルバムを含めて1989年まで5枚のアルバムと順次アルバムからカットされたシングルをリリースするが、やはりセールス面でブレイクするには至らなかった。ちなみにこの当時、角松は中山美穂のシングル「CATCH ME」(イントロ冒頭の“ア〜、ウッ!”の掛け声はジャドーズが担当)やアルバム『CATCH THE NITE』のプロデュースにも関わっており、そちらでは成功を収めていた。一方、ジャドーズは、お笑い時代からの知名度を活かしたテレビ番組出演や古舘伊知郎の後任として『不二家歌謡ベストテン』(ニッポン放送)のパーソナリティを担当するなどして積極的にメディアへ露出していって、その存在感は示してはいた。1990年より角松の手から離れたものの、長年の修練によって自分たちでも良質のサウンドを作り出せるようにはなっていった。しかし、相変わらずセールス面での浮上はせず、これが焦りになってしまいバンドの方向性に迷いを示し出す(この時期、『GAHAHAキング 爆笑王決定戦』に再び芸人として登場したこともあった)。そして、1991年にキーボードの平間が脱退し、1994年にはリーダーである島村も脱退。かわりにサポートメンバーを入れながらも、オリジナルアルバムは1992年に、シングルも1995年を最後として制作活動は休止状態となる。アルバムを制作しなくなって以降のライブ活動は企画色が強いものとなり、培った高次元な音楽性をベースとして笑いを取るコミックバンド的なことをやっていくようにもなる。そのなかのひとつが「ダンス☆マン」だった。覆面ミュージシャン・ダンス☆マンは、ジャドーズのライブメンバーにサポートメンバーを加えた編成の専属バンドのバンド☆マンを引き連れて数々のイベントやテレビ番組に出演するうちに、1998年にCDデビューを果たし、さらに音楽プロデューサー、つんくの目に留まり、1999年にモーニング娘。の最大のヒット曲、「LOVEマシーン」の編曲に抜擢されて以降の活躍は周知の通り。しかし、その裏でジャドーズの活動は衰退してしまい、毎年行われるファンクラブのパーティーでの演奏のみの状態となってしまった。2000年にはこの状況を打破するためにバンド名を「ジャンジャナル・ジンジェ」と改名して名乗るも、何も活動をしていないので全く浸透せず、近年は先述のパーティーでさえもジャドーズのサウンドコンセプトとは懸け離れたアンプラグドの演奏でお茶を濁すばかりでバンド演奏を見せずじまいとなってしまった。しかし、藤沢の「バンド演奏をしたい!」という欲求にファンクラブ限定ながら2005年4月に久々にライブが開催された。また、5月18日にはベストセレクション盤『ゴールデン☆ベスト』(発売元:コロムビアミュージックエンタテインメント)が発売された。しかし、それ以外は目立った活動することができず、依然として活動休止状態が続いている。
出典:wikipedia
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