倉吉線(くらよしせん)は、かつて鳥取県倉吉市の倉吉駅から東伯郡関金町(現・倉吉市関金町)の山守駅までを結んでいた、日本国有鉄道(国鉄)の鉄道路線(地方交通線)である。国鉄再建法の施行により、1981年に特定地方交通線第1次廃止対象線区として承認され、1985年4月1日に全線廃止となった。全線を通して運行される列車のほか、打吹駅、西倉吉駅、関金駅を発着する区間列車が設定されていた。なお、泰久寺・山守の両駅では客車列車の折り返しができなかったため、山守まで運転される列車はすべて気動車が使用され、客車列車は倉吉 - 関金間で運行された。開業時から廃止されるまで優等列車の設定はなく、すべて普通列車であった。1984年2月のダイヤ改正まで混合列車が残っていた。また、1980年時点では上下合わせて27本の列車のうち、表定速度が時速20km(キロメートル)以下の列車が9本あり、「日本一の鈍足列車運転線区」とも評された。さらに、最も表定速度の遅い普通列車として当線の列車が紹介されたこともあった。この時紹介された「424列車」は西倉吉から倉吉までの6.8kmに27分もかかっており、表定速度は15.1km/hで「マラソンランナーより遅い」と評されていた。これは、当線の線路等級が低く(簡易線)、30kgレールが用いられており、その後の高規格化工事も行われなかったため、軸重の大きいDE10形ディーゼル機関車が牽引する列車は、高速で運転することができなかったためである。など山陰本線の上井駅(現在の倉吉駅)と倉吉町(現在の倉吉市)の市街地である打吹を結ぶために、「倉吉軽便線」として1912年に開業したのが始まりである。1941年に関金温泉が付近にある関金駅、1958年に山守駅まで開業し、改正鉄道敷設法で「岡山県勝山ヨリ鳥取県倉吉ニ至ル鉄道」と定められ中国山地を越えて姫新線の中国勝山駅まで延伸する計画(南勝線)もあった。だが、整備が進んだ並行する道路を走る本数の多いバスや自家用車には敵わず、1981年9月に国鉄再建法による第1次特定地方交通線に選定されて全区間の廃止が確定。そして1985年3月31日、「さようなら倉吉線」のヘッドマークを取り付けたさよなら列車が運行され、山守駅22時7分発の臨時列車が倉吉駅に到着したのを最後に、72年の長きに亘った歴史に幕を閉じた。廃止後は、日本交通(倉吉駅 - 打吹 - 西倉吉 - 関金温泉 - 山守間)・日ノ丸自動車(倉吉駅 - 打吹 - 西倉吉間)・中鉄バス(1986年に湯原バスへ分社、現在は中鉄美作バス、倉吉駅 - 打吹 - 関金温泉 - 蒜山高原間)の3社による代替バスに転換された。その後、2007年11月1日に中鉄美作バスの倉吉駅 - 打吹 - 関金温泉 - 蒜山高原間のバスは乗客が少ないため廃止された。廃線跡は、市街地ではサイクリングロード(西倉吉 - 上小鴨間は鳥取県道501号倉吉東郷自転車道線(伯耆自転車道・花と緑のふれあいロード))、上小鴨駅付近は国道313号のバイパスなどになっているが、上小鴨駅から山守駅にかけては廃線より20余年を経てなおレール、バラストなどがそのまま放置されている場所が多数存在する。泰久寺駅には唯一ホームが残されており、残されている駅名標枠にレプリカの駅名標がトレッキングツアーの際に設置されている。西倉吉駅には、東側の島式ホームの一部が再利用され、その上に待合所と公衆トイレが設置されており、そのすぐ下に数メートルの線路が復元されている。また、西側の島式ホームも保存され公園の一部となっていたが、県道501号拡幅の際に撤去され現在の形となった。泰久寺駅から山守駅間にある山守トンネルは地元観光協会によるトレッキングツアーに利用されているため通常は閉鎖されているが、ツアーに申し込めばトンネル内を歩くことができる。また、打吹駅跡地には倉吉線鉄道記念館が建てられ、C11 75号機が保存展示されている。
出典:wikipedia
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