ミサ曲 ロ短調 (BWV 232) は、ヨハン・ゼバスティアン・バッハの作曲したミサ曲。日本語ではロ短調ミサなどとも称される。早くは1724年に書かれたものを部分的に含むが、最終的に完成したのは、J.S.バッハ(以下、バッハ)の死の前年の1749年である。現代では、マタイ受難曲、ヨハネ受難曲と並び、バッハの作品の中でも最高峰に位置するとされている。バッハ本人はこの作品に題名を与えておらず、ひとまとめにされた4部に分かれた楽譜には、それぞれにラテン語ミサの各部分のタイトルのみが記されている。すなわち、「キリエ」(Kyrie)、「グロリア」(Gloria)、「ニカイア信条」(Symbolum Nicenum、一般には「クレド」と呼ばれることが多い)、そして「サンクトゥス、ホザンナ、ベネディクトゥス、アニュス・デイ」(Sanctus, Hosanna, Benedictus, Agnus Dei)である。また、奏者の編成は部分によって異なっており、これらのことから、これを一体の作品として演奏するということは一切バッハの念頭になかったとする見解もある。一方で、自筆譜の各部には1から4の数字が順に振られており、また、バッハが宗教曲の清書譜の末尾に常に書きこんでいた "S. D. G. " (Soli Deo gloriaの略) は終曲の "Dona Nobis Pacem" の後にのみ記されている。いずれにせよ、演奏に2時間近くかかるという長大さから、実際の典礼において全曲が演奏されたことはなかった。バッハは熱心なルター派の信仰者であったが、その彼がカトリック教会の典礼であるラテン語ミサをこれほどの規模で作曲したことを奇異とするのは必ずしもあたらない。ルター派教会の礼拝はラテン語のミサを継承しており、マルティン・ルター自身が、ルター派版の「キリエ」、「グロリア・イン・エクセルシス」、「ニカイア信条」、「サンクトゥス」の使用を認めていた。また、バッハは典礼で使用するための小ミサ曲を4曲作曲している。そして、ロ短調ミサ曲の「サンクトゥス」では、小さいながらも重要な改変を典礼文に行っている。すなわち、カトリック教会の典礼文では「天と地はあなたの光栄にあまねく満ち渡る」(pleni sunt caeli et terra "gloria tua") とするところを、ルター派版の「天と地は彼の光栄にあまねく満ち渡る」(pleni sunt caeli et terra "gloria ejus") としているのである。メラーズ (Mellers) によると、ロ短調ミサ曲の作曲の経緯には不明な点が多い。作品全体の中で、過去の作品を転用していることが明らかな部分は限られているものの、ジョシュア・リフキンなどの見解では、作品の大部分は別の作品の転用である(この見解は主に自筆譜の書き込みや作曲の様式を根拠とする)。唯一の例外は、キリエの冒頭の4小節、ニカイア信条の Confiteor の部分で、この2ヶ所には自筆譜に削除や修正の痕が認められる。転用(パロディ)の詳細は、下記参照のこと。バッハの死後36年たった1786年、ハンブルクでおこなわれた慈善コンサートにて、息子のカール・フィリップ・エマヌエル・バッハが「ニカイア信条」を「クレド」という題目で演奏している。 現在の研究では、全曲が通して演奏されたのは19世紀半ば以降のことと考えられている。バッハ研究家 John Butt の見解では、「1859年の、ライプツィヒ・リーデル協会による演奏以前に全曲演奏が行われた確実な証拠はない」。ミサ曲ロ短調は、バッハの生涯を通しての合唱曲と神学への関わりの総決算として、フーガの技法と並ぶ象徴的な作品と広く考えられている。のみならず、しばしば「クラシック音楽」の最高傑作の一つともみなされている。アルベルト・バッソはこの作品について、次のように評している。「ミサ曲ロ短調は、全人生を捧げて書かれている。1733年に「外交的な」理由で作曲がはじまり、バッハがすでに盲目となっていた、人生最晩年に完結した。この記念碑的な作品は、「ライプツィヒのカントール」が編み出した、音楽の様式と技術のすべてを結集したものである。しかしまたこの作品は、カトリック的な神の讃美の世界と、ルター派的な十字架信仰の世界が、類のないほど衝撃的に出会う場でもある。」C. P. E. バッハは、父の自筆譜に注釈と修正を加え、同時に自身の手で修正、改変を行っている。このことなどが理由となり、ミサ曲ロ短調の校訂は難しく、版によって大きく異なる部分がある。全曲は27曲から成る。多くの曲がフーガ様の対位法でかかれているが、スタイルは古風なモテットからロココ風のアリアまで多岐にわたる。ニ長調を基調とするが、最初の曲は調号が同じロ短調となっている。アメリカ合衆国ではベスレヘム・バッハ合唱団が、1900年3月27日にペンシルベニア州ベスレヘムにて全曲のアメリカ初演を行ったが、部分的には1870年より演奏されていたことが確認されている。演奏時間は約2時間だが、20世紀末から興隆している歴史的考証を重視するいわゆるピリオドスタイルの演奏では1時間40分程度のものも多い。日本では、当時資生堂から発売されていた化粧品「INOUI」シリーズの1986年放映のテレビCM(アニュス・デイの部分のみ)で使用されたことがある。折しもこの時、資生堂はフランス人デザイナーとしてセルジュ・ルタンスを迎え、発足当時より、インターナショナルブランドだった「インウイ」をさらに芸術的側面を強調しようとしていた頃でもあった。2015年、直筆の楽譜がユネスコ記憶遺産に登録された。
出典:wikipedia
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