重商主義(じゅうしょうしゅぎ、、マーカンティリズム)とは、貿易などを通じて貴金属や貨幣を蓄積することにより、国富を増すことを目指す経済思想や経済政策の総称。16世紀半ばから18世紀にかけて西ヨーロッパで絶対君主制を標榜する諸国家がとった政策である。資本主義が産業革命によって確立する以前、王権が絶対主義体制(常備軍・官僚制度)を維持するため、国富増大を目指して行われた。、オリバー・クロムウェルやジャン=バティスト・コルベールらが代表者。初期の重金主義と後期の貿易差額主義に分けることができる。いずれにも共通しているのは、「富とは金(や銀、貨幣)であり、国力の増大とはそれらの蓄積である」と言う認識であった。植民地からの搾取、他国との植民地争い、保護貿易などを加熱させたが、植民地維持のコストの増大や、国内で政権と結びついた特権商人の増加などが問題となり、自由経済思想(現代では古典派経済学と呼ばれるもの)の発達を促すもとになった。大航海時代、アメリカ大陸やインド・東南アジアへの西欧の到達と直接交易の開始が貴金属や香辛料など稀少商品の価格革命をもたらし、商業革命のパトロン(援助者・免許者)としての王権に莫大な富をもたらした。オランダ、イギリス、フランスの各東インド会社は植民地政策の重要な尖兵となっただけでなく、有限責任方式の開発など市民社会形成に重要な足跡を遺し、19世紀の産業革命をもたらした。また、その是非を通じて経済政策や思想における活発な議論がなされるようになり、これが後にフランソワ・ケネーやデイヴィッド・ヒューム、アダム・スミスが登場する素地となった。貿易と国家の繁栄を結びつける思想は、イタリアの諸都市において15世紀には存在していた。フィレンツェ共和国の外交官でもあったニッコロ・マキャヴェッリの『リウィウス論』や『君主論』、イエズス会の司祭であるが書いた『国家理性論』において、そうした思想が展開されている。16世紀以降になると、ヨーロッパ各国で、貿易での優位が国内の利益につながると考えられるようになった。17-18世紀のイギリスで隣国の発展を脅威と捉える人々が現れ、重商主義という経済思想が形成された。重商主義の主な考え方は、輸出はその国に貨幣をもたらすが輸入はもたらさないため、輸出は良いが輸入は良くないというものである。重商主義の基礎には近代国家があり、それを支える感情は愛国心、ナショナリズムである。重商主義は自国と他国を比較し、国家間に敵対関係を想定するものであった。重商主義は、アメリカ合衆国の初期の経済学派であるアメリカ学派や、アメリカ・システムをはじめとする19世紀の経済政策にも影響を与えた。重金主義(じゅうきんしゅぎ、、ブリオニズム)とは、貴金属のみを国富として、その対外取引を規制し流出を防止し、同時に対外征服や略奪、鉱山開発を推し進め、国富たる貴金属を蓄積させようとする政策。重工主義、取引差額主義ともいう。16世紀のスペイン、ポルトガルの代表的な政策で、のちフランス王ルイ14世に仕えた財務総監コルベールがとった経済運営(コルベール主義)が有名である。国家は、税制優遇・補助金などで輸出を奨励し、関税によって輸入を抑制することで貿易黒字を増やし貴金属の流入を促進させた。東洋に向かったポルトガルは王室国家権力による独占貿易をはかりカサ・ダ・インディア(インド庁)を設立した。リスボン到着の香辛料はすべてインド庁の倉庫に納入され転売益が国王収入となった。新大陸に向かったスペインにとっては交易の成立しない異文明との遭遇は掠奪と破壊の対象となった(スペインによるアメリカ大陸の植民地化参照)。貿易差額主義(ぼうえきさがくしゅぎ)とは、輸出を進めて輸入を制限することにより国内産業を保護育成し、貨幣蓄積をはかる政策。重金主義が国家間での金塊等の争奪や私掠船(官許の民間掠奪船)の横行、相互の輸出規制合戦の様相を呈したのに対し、貿易の差額による国富(ここでは貴金属)の蓄積が主張された。イギリス東インド会社の係官トーマス・マン(19世紀の作家T・マンとは無関係)が主張、イギリス重商主義の中心的な政策となる。日本においては江戸時代中期の政治家・田沼意次がその先駆者として挙げられている。また18 - 19世紀に活躍した本多利明・佐藤信淵・帆足万里の経世論のなかにも典型的な重商主義理論が見られる。また、五代十国時代の中国では、十国といわれる地方政権はいずれも鉄銭・鉛銭の発行や輸出の促進などにより銀・銅を政府のもとに蓄積する政策を行った。重商主義は、18世紀にはアダム・スミスの『国富論』で繰り返し批判されている。『国富論』によると、人々が豊かになるのはあくまで輸入品を消費することによってであり、輸出によってではない。輸出は欲しいものを輸入するために必要な外貨の獲得のためのものであって、輸出それ自体が貿易の目的ではない。輸入業者が支払い請求に応じるのに必要な負担をまかなうために、輸出が必要となるにすぎない。またこのことから、交易条件の改善によって、より少ない輸出でより多くの輸入が出来るようになることは国民を豊かにするが、自国通貨高は輸入価格と輸出価格の両方を変化させるので、より少ない輸出でより多くの輸入が出来るようになるわけではなく、そのためより多くの輸入品の購買や消費が可能になって国民が豊かになるわけでもないことがわかる。またスミスは、重商主義の背景にある愛国心について「愛国心は、他のあらゆる近隣国の繁栄・拡大を、悪意に満ちた妬み・羨望をもって眺めようとする気分にさせることが多い」と述べており、自分の身の回りの人々に愛を感じることは自然であり必要でもあるが、それが偏狭な国民的偏見をもたらす可能性を警戒していた。『国富論』については、重商主義が言う貿易差額(黒字)で金銀を稼ぐことが富の源泉ではなく、労働こそが富の源泉であるという視点を示していると指摘されている。ジョン・メイナード・ケインズが、著書『雇用・利子および貨幣の一般理論』において、重商主義を「復権と尊敬とに値する」と主張したという指摘がある。この点から、重商主義政策をケインズ政策、つまり有効需要確保の政策とする解釈も存在する。ある国にとって「貿易の黒字は利益で赤字は損失である」といった見方は重商主義的な誤解の典型である。重商主義のわかりやすさには、人間が人間であるがゆえにもつ各種のバイアスが寄与しているとする指摘もある。重商主義は絶対王政の存在と植民地主義の下での経済思想であるため、現代ではこの二つの条件を満たしている国はほとんど存在しない。しかし貿易によって利益を得る、輸出を増大させる重工主義などは重商主義以降も生き続けた。20世紀に入っても、輸出主導で経済成長を図ろうという政策は、さまざまな形で見られる。このような貿易政策は、新重商主義あるいは単に重商主義と呼ばれている。新重商主義についてはジョーン・ロビンソンの定義が知られている。各国政府が自国民の利益のために、国際経済活動における自国のシェア拡大に価値や称賛さるべき目的を設定することが、新しい重商主義とされる。ダニ・ロドリックは、現在における自由主義と重商主義の対立を語っているが、ロビンソンは、自由主義の教義は重商主義の巧妙な形態にすぎないとして、新重商主義は発展途上国にとっての障害としている。日本でも、より強い国際競争力を求めて、政府に対する政策要望が出され、また政府の政策に取り入れられることが多い。国際競争主義については、重商主義がその元祖であるとする指摘がある。また、輸出に頼って経済成長を計る政策思想は、重商主義と差異がないとする説もある。重商主義は、国内の過剰生産の解消と、貿易による資本蓄積で経済を成長させるには有効な政策であるとする評価もある。こうした評価は、今日のアジア発展途上国と高度経済成長期の日本による輸出主導型成長と結びつけられている。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。