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黒部ダム

黒部ダム(くろべダム)は、富山県中新川郡立山町、黒部川水系黒部川に建設されたダムである。ダムに貯えられた水を利用している発電所が黒部川第四発電所(黒四)であることから、黒四ダム(くろよんダム)と呼ばれることもある。日本を代表するダムの1つであり、富山県東部の黒部川上流に建設されたアーチ式コンクリートダム。発電に利用する水を確保することを主目的として関西電力によって建設された。ダムの高さ(堤高)は186mで日本一を誇り、現在でも破られていない。富山県で最も高い構築物でもある。総貯水容量は約2億tで北陸地方屈指の人造湖黒部湖(くろべこ)を形成する。総工費は建設当時の費用で513億円。これは当時の関西電力資本金の5倍という金額である。作業員延べ人数は1,000万人を超え、工事期間中の転落やトラック・トロッコなどによる労働災害による殉職者は171人にも及び、いかにダム建設工事が苦難を極めたのかがうかがえる。前述のように「黒四ダム」の別称もあるが、関西電力は公式サイトなどでも「黒部ダム」としている。また、日本ダム協会によれば、「黒四ダム」の名は仮称として用いられ、後に正式名称が「黒部ダム」と決められたとしている。完成時には「黒四ダム」と呼ばれることが多かったが、最近では一般に「黒部ダム」と呼ばれるようになっている。また、かつては図鑑などで「黒部第四ダム」と書かれていたこともある。黒部ダムが建設された地点は黒部川の水量も多く、水力発電所設置に適した場所であることは大正時代から知られていた。ただ、第二次世界大戦などもあり、黒部川の開発は下流の仙人谷ダムおよび黒部川第三発電所にとどまっていた。戦後、高度経済成長期を迎えると電力不足が発生し、関西地方では停電が頻発した。その事態を受け、関西電力の代表取締役(当時)太田垣士郎は1956年、戦前に調査(一割強程度)・計画・設計は実施したものの、開戦以降お蔵入りとなっていた黒部ダム建設事業を急遽たちあげた。それは、同社の社運をかけた一世一代の大規模プロジェクトであり、近畿(関西)地方への電力供給ひいては経済活動の命運が懸かっていた。黒部ダム建設にあたって工区を5つに分割し、それぞれに異なる建設会社が請け負った。黒部ダム建設工事現場はあまりにも奥地であり、初期の工事は建設材料を徒歩や馬やヘリコプターで輸送するというもので、作業ははかどらず困難を極めた。このためダム予定地まで大町トンネル(現在の関電トンネル)を掘ることを決めたものの、トンネル内の破砕帯から大量の冷水が噴出し、死者が多数出る大変な難工事となった。このため別に水抜きトンネルを掘り、薬剤とコンクリートで固めながら(グラウチング)掘り進めるという当時では最新鋭の技術が導入され、その結果9ヶ月で破砕帯を突破してトンネルが貫通、工期が短縮された(詳細は関電トンネルの項も参照)。2006年時点での土砂堆積率は14%であり、ダム本体の耐久性と併せて考えると、これからも約250年はダムとして機能すると見込まれている。当初の計画では単純な円弧状のアーチダムであったが、1959年のマルパッセダム決壊事故を受け、両岸の基礎となる岩盤を調査したところ予想以上に脆いことが判明、設計変更を実施し両側がウイング状に変更となった。またダムから川へ放水する際には霧状にしている。これは放水の勢いで川底が削れてしまうのを防ぐためである。黒部ダムは、世界的に見ても大規模なダムであり、また周辺は名勝・中部山岳国立公園でもあることから、立山黒部アルペンルートのハイライトのひとつとして、多くの観光客が訪れる。なお、黒部ダムを紹介するときの映像でダムから放水されているシーンがあるが、これは常時ではなく、6月下旬〜10月中旬頃に限られ、「観光放水」と呼ばれる。ダム観光施設の運営は関電アメニックスくろよん観光事業部が行っている。登山客の間では、下ノ廊下に平行して歩く日電歩道の玄関口として親しまれている。立山連峰のうち、立山の雄山に登り、更に雄山神社本宮まであがると、下方に黒部湖が広がって見える。首都圏並びに関西方面より黒部ダムを目的地とする場合、富山県側よりも長野県側よりアクセスした方が乗り換え回数が少なく容易にたどりつける。2007年に文化庁が世界遺産候補地を公募した際、「立山・黒部~防災大国日本のモデル-信仰・砂防・発電-~」として名乗りを上げたが、山岳信仰・産業施設・自然環境を一体的に捉えることに無理があるとして選考に漏れた経緯がある。建設時におけるスケールの大きさから日本中の注目を集めていた黒部ダムは、高度成長期の映像・中継機器の発達に伴い、様々な形で映像化されてきた。今日、建設時の模様を(再現含め)映像として見られるものとしては、下記のプロジェクトXのビデオ・DVDや、記録映画「くろよん-黒部川第四発電所建設記録」などである。同作品の完全版はくろよんロイヤルホテルの館内放送で、ダイジェスト版は黒部ダムレストハウス3階にて「くろよん物語」として常時上映されている。また、黒部ダムオフィシャルサイトでも、インターネットを通じてダイジェスト版を6章に分けて見ることができる。まず、建設主体の関西電力が映像化に踏み切った。実際は関西電力の委託で日本映画新社による四部作として記録されたものである。第1作は1957年制作「黒部峡谷-黒部川第四水力発電所建設記録第1部」である。立山連峰を超えるためにブルドーザーを分解して運ぶなど、秘境下で作られる黒部ダムの工事開始までの様々な問題点・困難さが記録された。第2作は1958年制作「地底の凱歌-黒部川第四水力発電所建設記録第2部」で、秘境下で輸送路・発電所設備等を地下化すべく、厳冬下の工事、破砕帯突破など困難を極めた工事の模様が記録された。第3作、1961年制作の「大いなる黒部-黒部川第四水力発電所建設記録第3部」はシネマスコープによる制作である。第1 - 2作を含め、黒部第四発電所へ通水、試験運転開始までを描いている。そして、完全竣工後の1963年、「くろよん-黒部川第四発電所建設記録」を作成し、建設開始から完全竣工まで全ての映像が記録された。完成直後の1963年、NHK総合テレビジョンの技術者が放送用機材と中継用機器をダムまで持ち込み、ヘリコプターによる空中撮影も交え、鈴木健二アナウンサーの司会により生中継放送を行った。当時まだ貧弱な放送技術の限界に挑んだ中継は見事に成功し、視聴者に黒部ダムのスケールの大きさと、技術者の偉業を知らせる事に一役買った。1968年、三船プロ、石原プロ製作の熊井啓監督映画『黒部の太陽』(主演:三船敏郎、石原裕次郎)で、黒部ダム建設の物語が描かれた。原作は木本正次『黒部の太陽』(毎日新聞社、1964年)。2度テレビドラマ化されている。1969年8月3日 - 10月12日(日曜 21:30 - 22:26)に日本テレビ系列で放送された、全11回の連続ドラマ。また、2009年3月21日・22日にはフジテレビ系列で、「フジテレビ開局50周年記念ドラマ特別企画」として放送されている。2001年、黒部ダム建設の模様がNHK総合テレビジョンのドキュメンタリー番組『プロジェクトX〜挑戦者たち〜』にて紹介された。この影響は大きく、2002年末のNHK紅白歌合戦では、中島みゆきが同番組のテーマ曲『地上の星』を歌った。ただし、歌った場所は黒部ダム堤体内部ではなく関西電力黒部専用鉄道「黒部川第四発電所前駅」構内のトンネル内である。関西電力黒部ルートの案内人の説明によると、中島には控室として黒部川第四発電所の小会議室を提供、さらに中島が放送終了後に宿泊を希望したためスタッフともども発電所に宿泊した。この会議室はその後、社内では「みゆき御殿」という通称で呼ばれるようになった。映像化されてはいないが、山崎豊子の小説『白い巨塔』でも、主人公・財前五郎が金沢市での学会の帰りに黒部ダムを訪れている。一般に公開されていない場所も、財前は関西電力(実名で登場)の案内で足を踏み入れている。2008年には、中島みゆきが歌う『地上の星』がサントリーの缶コーヒーブランドであるBOSSのCMで起用された。そのCMは、大杉漣がトンネル工事の現場監督役。作業員に扮したジョーンズと共にトンネルの掘削工事に挑むプロジェクトXで取り上げられた黒部ダムの大町トンネル建設を真似た映像になっている。昭和30年代を時代背景とした『鉄人28号(2004年版)』の最終エピソード(21〜26話)では、人間の手による黒部ダム建設が困難となったという設定で、大型ロボットによる黒部ダム建設が行われ、これを巡るストーリーが主軸となっており、最終的に黒部ダムの底には鉄人28号の残骸が存在することになっている。

出典:wikipedia

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