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川越線

川越線(かわごえせん)は、埼玉県さいたま市大宮区の大宮駅から埼玉県日高市の高麗川駅を結ぶ、東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線(幹線)である。埼玉県の県都・さいたま市から西へ延び、川越市を経由して高麗川までを結ぶ路線だが、川越駅を境に運転系統が分断されている。1985年の電化以降、川越以東では同時に開通した埼京線、さらに2002年からは同線を介して東京臨海高速鉄道りんかい線との直通運転が行われており、東京都心の池袋・新宿・渋谷や臨海副都心のお台場へ乗り換えなしでアクセスすることが可能となっている。一方川越以西では、1996年に電化された八高線高麗川 - 八王子間との直通運転が行われている。車内に掲示してある路線図には大宮駅 - 川越駅間は埼京線と併せて「埼京線・川越線」、川越駅 - 高麗川駅間は八高線高麗川駅 - 八王子駅間と併せて「川越線・八高線」と案内されている。全線が旅客営業規則の定める大都市近郊区間の「東京近郊区間」およびIC乗車カード「Suica」の首都圏エリアに含まれる。旅客案内で使用されるラインカラーは、運転系統が分断される川越駅を境に、東側と西側でそれぞれ直通運転先の路線と同じラインカラーを使用しており、埼京線と直通運転する東側は緑()を、八高線と直通運転する西側はグレー()を使用している。ただし、埼京線と川越線が混在する大宮駅では両線の区別を明確にするため、例外的に川越線のホームにグレー()を使用している。高麗川駅付近の約1.6kmの区間は八王子支社、それ以外(すなわち大宮駅 - 武蔵高萩駅間)は大宮支社の管轄である。各年度の区間別の平均通過人員、旅客運輸収入は以下の通り。川越線の始発駅にあたる大宮駅。埼京線と直通運転をしているため、同線と共用の地下ホームに発着する。駅を出てまもなくすると地上に出る。なお1985年(昭和60年)の電化以前は、大宮駅の地上ホーム11番線・12番線から発着していた。現在、地上ホームから発着する川越線定期列車は設定されていないが、レールは繋がっており、快速「ぶらり川越号」「おさんぽ川越号」等の臨時列車や工事列車等で使用されている。進行方向左手に鉄道博物館を見ながら高崎線とともに北上。左手から交差する新幹線の高架下をくぐると、直進する高崎線と袂を分かち、大きく左に分かれていく。右手につばさ小学校を見ながらまもなく市街地を進むと日進駅。日進駅を出ると路線は複線から単線となる。日進の市街地のなかを路線は下り勾配のなか、直進していく。鴨川橋梁を渡り、右手に宮前中学校、左手に佐川急便さいたま店を見送ると宮前インターチェンジの下を過ぎ、西大宮バイパスとしばらく並行し、西大宮駅に到着する。西大宮駅を出ると両脇にせまった住宅地の中を通り、指扇駅に至る。指扇駅を出ると川越線は緩やかに南にカーブしながら築堤を通る。埼玉県道2号さいたま春日部線の上を渡り、土手から荒川の河川敷を進む。荒川橋梁で荒川を渡りきると路線は大きく右にカーブし、辺り一面、田園風景の中を進む。左手の川越車両センターを通過すると、南古谷駅。南古谷駅を出ると、右手にウニクス南古谷を見送り、再び田園風景の中を進む。国道254号富士見川越バイパスの陸橋の下をくぐり、左手の砂中学校を見送ると、路線は新河岸川を渡る。新河岸川を渡ると川越市街に入る。右にカーブしながら東武東上線の下をトンネルでくぐり、続けて川越街道と国道16号が交差する新宿町北の交差点下をトンネルでくぐる。先ほど交差した東武東上線と並び、まもなく川越駅に至る。川越駅を出ると東武東上線と並行し、西武新宿線を越え、東上線川越市駅手前で左方向へカーブし東上線と別れる。そのまま住宅地帯を直進し、埼玉県道15号川越日高線をくぐると左へカーブ。北環状線(道路)の予定地(現在は川越線を超える橋桁が完成済み)を超え県道と並行する。しばらくすると西川越駅に到着。すぐに踏切を超え入間川を渡るため傾斜を登る。入間川の橋梁では前述の県道の初雁橋を左手に、東武東上線の橋梁を右手に見る。橋を渡ると傾斜を下り住宅地をゆるい左カーブで過ぎ東京国際大学を左手に見る。少し直進し埼玉県道114号川越越生線を渡ると的場駅。的場駅を出ると直進区間となり、関越自動車道をくぐって左手に霞が関小学校を見て小畔川を越えると笠幡駅に至る。再び直線が続き日高市に入る。首都圏中央連絡自動車道をくぐり左へ緩くカーブし日高バイパスを越え国道407号を渡るとすぐに武蔵高萩駅へ。武蔵高萩駅を出ると直線区間が続き、南に大きくカーブして八高線と合流して、川越線の終点・高麗川駅に至る。途中の川越駅で運転系統が分断されており、大宮駅 - 川越駅間では埼京線と直通運転を行い、川越駅 - 高麗川駅間では川越線内折り返し運転と八高線への直通運転がある。直通先の路線でトラブルや大幅なダイヤの乱れが発生した時には直通運転を中止し、線内で折り返し運転を行う。川越線全線を直通する列車はないが、全線非電化だったころは大宮から八高線東飯能駅まで行く気動車列車も設定され、1985年3月14日の電化後も1989年3月10日までは大宮駅 - 高麗川駅間を直通する電車が設定されていた。埼京線・東京臨海高速鉄道りんかい線と一体の運転系統として運行されている。大宮駅 - 川越駅間を運転する全定期列車が埼京線と直通運転を行い、りんかい線直通の新木場駅発着の電車も運転されている。多くの電車は埼京線内は快速・通勤快速として運転されるが、ともに川越線内は各駅に停車する。日中はりんかい線新木場駅発着の快速が1時間あたり3本(20分に1本)運転されており、このうち2本は川越駅で高麗川方面の電車と接続する。この時間帯は西大宮駅と南古谷駅で上下列車の交換が行われる。2015年3月14日のダイヤ改正により、川越駅 - 高麗川駅間が日中時間帯において30分間隔に減便され、3本のうち1本は高麗川方面への接続は行われなくなった。上述の通り電化開業から数年間は、日中に大宮駅 - 高麗川駅間の電車(3両編成)が存在していたが、埼京線の快速電車の運転を30分間隔から20分間隔に、川越駅 - 高麗川駅間の運転を20分・40分の交互間隔から20分間隔に統一したのに伴い、川越駅 - 高麗川駅間に短縮された。直通運転は無くなったが、運転間隔は均一化され、川越駅 - 高麗川駅間は増発となった。電車は川越駅発着が基本であるが、川越車両センターからの車両出庫のため、早朝・夕方と平日の朝ラッシュ時間帯の一部に指扇発の上り電車も設定されている。また、2009年(平成21年)3月14日改正で早朝に南古谷発の上り電車が1本新設された。川越駅 - 川越車両センター間には回送列車が設定されている(川越駅構内では車両の夜間滞泊は行わない)。使用されている車両のLED表示は路線名と行き先を交互に表示している。205系・東京臨海高速鉄道70-000形は大宮駅を過ぎ、川越線区間のみ(異常時の大宮駅 - 川越駅間折り返しも含む)の走行となっても「埼京線」と表示され、りんかい線直通新木場行きの場合は「りんかい線直通」と表示されるため、LED表示に「川越線」と表示されることはないが、E233系はLEDには「埼京・川越線」と表示されるようになった。東京臨海高速鉄道70-000形車内ドア上の停車駅案内は205系(埼京線・りんかい線直通車)の物と異なり、新木場駅 - 川越駅間のみで川越駅 - 高麗川駅間各駅の表記がない。ただし高麗川方面への乗り換え案内表記はある。2009年3月14日に西大宮駅が開業し停車駅案内がリニューアルされるまでは、川越駅の乗り換え案内表記も東武東上線のみで高麗川方面への乗り換えが表記されておらず、車掌による川越駅到着前の高麗川方面への乗り継ぎ案内放送で補っていた。なお、この案内放送は現在も継続されている。当区間では指扇駅 - 南古谷駅間の荒川を鉄橋で越える関係上、悪天候(特に強風)による影響を受けやすく、埼京線との直通運転がしばしば中止される。八高線八王子駅 - 高麗川駅間と一体の運転系統として運行されている。およそ半数の電車は八高線と相互直通運転を行い、残りの半数ほどは高麗川駅発着となっている。こちらも電車は川越駅発着が基本であるが、川越車両センターからの出庫のため、早朝の3本のみ南古谷発となっている。八高線電化時からこのような形態となったが、八高線との相互直通運転開始当時は、拝島駅から青梅線を経由して立川駅に発着する電車が少ないながら設定されていた(1999年12月3日に廃止)。日中時間帯は30分間隔で運転されており、川越駅では大宮方面の電車と接続する(同一ホーム乗り換えが可能)。的場駅で上下列車の交換が行われる。この時間帯はすべて八高線八王子駅発着である。2015年3月13日までは、日中は完全な20分に1本の体制となっており、川越駅における大宮方面電車との接続時間は上下線とも約3分であった。また、的場駅と武蔵高萩駅で上下列車の交換が行われていた。なお、八高線とは電車の運転間隔が合っていなかったため(日中は30分に1本)、八高線と直通する電車には高麗川駅で長時間停車するものがあった。翌14日のダイヤ改正より、日中時間帯は30分間隔に見直された。なお、夏と冬の期間限定でおもに列車交換時や長時間停車時を中心にドアの開閉をボタン式に設定していたが、2006年12月1日から通年でドアの開閉がボタン式に変更された。列車番号の末尾の英字はH(八高線内は、川越方面行きは{川越線内の番号+1}+E、八王子方面行きは{川越線内の番号-1}+Eとなる)。電化後は、すべて電車が使用されている。他社車両である70-000形を除き、川越車両センターに所属する車両が運用されている。大宮駅 - 川越駅間は埼京線・東京臨海高速鉄道りんかい線と共通の車両が使われ、川越駅 - 高麗川駅間は八高線と共通で、半自動扉などの寒冷地対策を実施した車両が使われる。これらの運用は、隅田川駅 - 大宮経由高麗川駅間の貨物列車が主だが、東武東上線の貨物中継列車も川越駅構内で行っており貨車のほかに東武の新車輸送(ナニワ工機製の一部富士重工業製が主だった)も行っていて、旧78系と8000系初期車がこれにあたり電化前からも(機関車牽引ながら)電車が走っていたことになる。1970年代には中継輸送が消滅し、東武車の引き渡しは下板橋駅と川越駅から熊谷貨物ターミナル駅へ統合した。そして、高麗川セメント輸送も八高線を残して電化した都合から1986年ですべて廃止した。川越線からは機関車が消えた。東京に近い場所にありながら1980年代まで非電化であり、路線起点駅の大宮に隣接して大宮工場(現在の大宮総合車両センター)があることから、川越線では相模線と並んで気動車の試験運転が多く実施された。キハ44000形・キハ81系・キハ391系が新造直後の試運転で川越線に入線している。女性専用車は埼京線と同じく、平日の朝7時30分 - 9時30分に新宿駅に到着する大崎方面行全電車と夜23時以降に新宿駅を発車する下り全電車で設定され、ともに設定車両は大崎方先頭車両である10号車となっている。改正鉄道敷設法別表第50号の4に規定する予定線で、東北本線と八高線を短絡して中央本線のバイパスとするため、1934年に追加されたものである。大正11年(1922年)公布の改正鉄道敷設法のリストには無かったが、東海道本線と東北本線を東京を経由せずに結ぶという『軍事的な危機管理政策』から必要とされ、1934年の帝国議会で追加と同時に「建設線」となり、同年中に直ちに着工されるという異例のスピードで建設が進められ、1940年に全線が一度に開業した軍需鉄道を出自とする。川越線開通を報じる当時の朝日新聞埼玉版の見出しには「帝都防備の使命も重く」の文字が躍っている。軍事開発の痕跡は、南古谷駅 - 上福岡駅間の道路などに伝承が残る。川越線開通によりこれまで大宮と川越を結んでいた路面電車西武大宮線は、利用が激減し同年12月に運休、1941年をもって廃線となった。なお、同線の専用軌道区間も河川改修などで消えて、今ではほとんどその痕跡は残っていない。川越線に劇的な変化が訪れたのは、1985年の埼京線開業に伴う電化と直通運転の開始である。埼京線は当初、大宮以北を高崎線と併走させる計画だったが、埼京線区間に車両基地を設置する用地が確保できず、南古谷駅付近に新たに川越電車区(現在の川越車両センター)を設置したためである。埼京線との直通運転により、川越線は東京圏の外縁を長閑に走る非電化のローカル線から都市近郊の通勤路線に変貌を遂げた。その一方、路線のほぼ全線が単線(大宮駅 - 日進駅間のみ複線)で列車交換が必要となり、本数も制約があるため、東京近郊の通勤路線としてはまだ不十分な状態が続いている。沿線自治体が複線化・増発を要望しているが、JR側は増発は川越線の大部分が単線であることと、埼京線との兼ね合いから困難としており、複線化も「高齢化社会による通勤需要の減少から実現は難しい」としている。2002年には、埼京線を介して東京臨海高速鉄道りんかい線とも相互直通運転を開始した。

出典:wikipedia

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