議院内閣制(ぎいんないかくせい)とは、政府(内閣)が議会(特に下院)の信任によって存立することとする制度。議院内閣制は大統領制、超然内閣制、議会統治制などと並ぶ、議会と政府との関係の点から見た政治制度の分類の一つで、議会と政府(内閣)とが分立した上で、政府は議会(特に下院)の信任によって存立する政治制度である。議院内閣制はイギリスで誕生した政治制度であり、そこでは首相が内閣を、内閣は多数党を、多数党は議会を、それぞれ統率・指導・統制し、議会の多数党は国民の投票によって決定される。議院内閣制を他の政治制度と比較的に考察すると以下のような特徴によって表される。政治モデルとしては、アメリカ型大統領制は立法権と行政権を厳格に分離し権力の分散という点を強調し権力分立を指向するのに対し、イギリス型議院内閣制は立法権と行政権が政権党によって結合され強力な内閣のもとに権力の集中を容認する制度であるとされる。議院内閣制には集権性・集約性がみられるとされ、特にイギリスでは首相統治制・二大政党制を背景に首相権力の強い議院内閣制となっている。しかし、日本では歴史的・制度的な点から長い間にわたり議院内閣制のために権力の集中は生じないとみられてきたという指摘がある(#日本の議院内閣制)。国民による公選によって選出される大統領とは異なり、議院内閣制における内閣は国民から直接選ばれるわけではないため、自らの民主的正統性の根拠について議会からの信任に依拠することになる。議院内閣制の下では原理的には議会は内閣に優位することになり、アメリカ型の大統領制に比して権力分立という自由主義的側面は後退することになるが、国民(有権者)→議会(議院)→内閣(首相・大臣)→行政各部(官僚)という権限の委任と監督の連鎖と、内閣→議会(議院)→国民(有権者)という責任の連鎖を構築することによって行政権の民主的コントロールを確保するとともに、議会(主に下院)の多数党派が行政部の中枢機関を担うこととして政治上の責任の所在を明確にして民主主義的要請に応えようとする制度であるとされる。大統領制の下では大統領と議会とは別々に選出されるため民意は二元的に表れる二元代表制であるのに対し、議院内閣制では議会のみが選挙により選出されて内閣はそれを基盤として成立するため民意は一元的に表れる一元代表制である。そして、議院内閣制の下で議会と内閣の協働関係が破綻した際には、内閣不信任決議、内閣総辞職、議会解散権の行使のいずれかによって解決が図られる。議院内閣制では議会多数派が政権を握ることになるため、基本的に与党の分裂や連立与党の関係破綻などの問題を生じない限り内閣提出法案は成立する。議院内閣制の下では立法及び行政の統治責任は議会を支配し現に内閣を組織している政権党に一元化される。議会選挙では内閣与党の治績の良否、政策競争の優劣などの点から国民の審判を仰ぐことになる。以上の点は立法府と行政府の厳格な分離をとり、大統領の任期が定められる一方、議会解散権がなく、大統領の所属政党と議会多数派とが異なる場合も出現しやすいアメリカ型の大統領制と異なる点である。議院内閣制の利点を実際に活かすことができるか否かは政治上の諸条件にかかっているとされ、議会や政党に頽落を生じる場合にはアメリカ型の大統領制よりもよりも大きな構造的な問題を抱えることになるとされる。議院内閣制の問題点としては、政権与党が議会の圧倒的多数を占めることになると独裁に陥りかねず、他方で政権与党が小政党の連立である場合には政権基盤は著しく不安定なものとなる点がある。議院内閣制の本質については解散権の有無と関連して責任本質説と均衡本質説の対立がある。議院内閣制と議会統治制(スイス型)との違いについて、均衡本質説によれば内閣の解散権の有無により、責任本質説によれば辞職の自由の有無により区別すべきとされる。議院内閣制の下で内閣に議会解散権が広く認められる政治制度がとられるとき、議会には内閣に対する不信任決議、一方の内閣には議会解散権が認められているため、両者に意思の対立があれば(解散を経て)議会選挙を通じて国民がその問題に決着をつけることになる。このことは議院内閣制においては議会の解散によって選挙となれば国民の審判にさらされるという緊張関係を常に生じていることを意味し、そのため議院内閣制の下ではいつ選挙が行われても国民からの支持を得られるように民意への接近という動因が絶えず働くことになるとされる。実際の政党政治の下では議会において多数を占める政党が政権を担う(内閣を組織する)ことから、この要素は内閣と議会との間にではなく、与野党間、連立与党の各党間、与党の主流派と反主流派などにおいて働くとされる。また、国民の支持の厚い首相=党首を擁する場合は、不信任決議とは関わりなく解散を行い、選挙に勝利することによって議会の多数を確保することで、さらに自党による政権期間を将来にわたって延ばすことができる。不人気な首相が自ら辞任して後継自党党首に託すのも、たったそれだけで国民の支持が回復することが現実にあり得るからである。このような考え方に対して、議会解散権が不意打ちによって行使されることは防ぐべきとして制限的に位置づける考え方もある。イギリスでは2011年に議会任期固定法が成立し、内閣不信任決議に対する解散権行使か、下院の3分の2以上の賛成による自主解散のみが認められることとなった。ただ、2016年6月23日にイギリスで行われたEU離脱の是非を問う国民投票では離脱が多数を占めたが、下院ではEU残留派が多数を占めていたため、議会制民主主義と国民投票による民主主義の矛盾(EU残留派とEU離脱派の対立)を解消するために下院の解散もその選択肢として取り上げられたが、議会任期固定法により下院の任期途中での解散総選挙のハードルが高くなったため、意思決定プロセスのあり方が注目されることとなった。議院内閣制は議会多数派(一般的には政党)が内閣を組織して政治を主導することから政党内閣制とも呼ばれる。一党で内閣が組織される場合には単独内閣、複数党で内閣が組織される場合には連立内閣と呼ばれ、また、内閣には加わらないものの内閣の方針を基本的に支持する形をとることを閣外協力と呼ぶ。議院内閣制の下での内閣総理大臣に選出方法について、イギリスでは二大政党制の下で下院の第一党の党首が、国王により首相に任命されるのが慣行となっている。日本やドイツでは議会で首相指名選挙が行われ、連立政権となる場合には必ずしも第一党の党首が就任するわけでもない。例えば日本の細川護煕首相、羽田孜首相、村山富市首相は第一党の所属ではなかった。また、ドイツのヘルムート・シュミットはヴィリー・ブラントの後を受けて首相となったが第二党の所属でしかも党首職にも就かなかった(ブラントが党首職に留まった)。議院内閣制は沿革的には18世紀から19世紀にかけて英国で王権と民権との拮抗関係の中で自然発生的に誕生し慣行として確立されるに至った制度である。内閣制度の草創期において閣僚は国王の「家僕」とされ、国王は自由に閣僚を任免することができた。しかし、議会の力が大きくなり18世紀末に誕生した初期の議院内閣制では内閣は君主と議会の双方に責任を負い、大臣の地位は君主の信任を受けて認められる地位であるとともに、議会の支持が得られなければ政治的根拠を失い、自発的に辞職しなければならないとする政治制度が成立した。このように内閣が国家元首と議会の双方に対して責任を負う類型を二元主義型議院内閣制という。イギリスにおける選挙法による下院の地位向上など、議会の優位がさらに進み、19世紀になると国家元首の任命権は形式的・名目的なものとなって、1841年には首相には議会の多数派党首を任命慣行が成立し、議会の不信任決議により内閣は辞職しなければならないようになった。このように内閣が議会に対してのみ責任を負う類型を一元主義型議院内閣制という。一元主義型議院内閣制の下では大統領や君主などの元首は儀礼的な役割しか持たず、内閣が実際の行政権を持つのが普通である。一元主義型議院内閣制を採用している国家は、イギリス、フランス第三・第四共和制、日本、ドイツ、スペイン、スウェーデン、オランダなどが挙げられる。内閣は議会(特に下院)に対して連帯して責任を負い、分裂した状態で議会に対することはない。重要問題で首相と他の大臣が対立した場合(閣内不統一)、大臣が閣内にとどまったまま首相に対する反対派となることは許されず、首相に従うか辞任して反対派になるかを選ぶことになる。辞任を通じて議会内の多数派に変動が起き、結果的に内閣が倒れることは許容される。内閣は議会(特に下院)の明示的あるいは暗黙的な多数派に依拠しなければならない。議会(主に下院)は、内閣不信任決議を行うことによって、いつでも内閣を変えることができる。このとき内閣は不信任決議に従って総辞職するか、議会の多数派を再形成するために解散するかを選択する。解散の後、選挙を経て新たに作られた議会の勢力により内閣の命運が決まる。選挙で多数派形成に成功すれば不信任された首相が引き続き政権を担当し、失敗すれば再任をあきらめ別の首相が任命されることになる。議会の優位がさらに進むと政府が完全に議会に従属する議会統治制が出現するが、これが好ましい政治形態であるかは疑問とされ、イギリスなどではこのような展開は見られないとされる。なお、半大統領制の下では内閣が大統領と議会の双方に責任を負う二元主義型議院内閣制(例:フランス第五共和制)がみられるが、これは初期の二元型議院内閣制における君主が大統領に置き換わったものとして理解することができるとされる。イギリスでは二大政党制の下、庶民院(下院)の第一党の党首が首相に任命されるのが慣行となっている(例外状況として、第一党が明確ではないハング・パーラメントが生じることもある)。日本やドイツのような議会による首相指名の手続はない。閣僚の任免は首相の指名・申出に基づいて国王が行うが、庶民院か貴族院(上院)のいずれかに議席がなければ閣僚となることはできない。閣僚には約20名の閣議のメンバーとなる閣内大臣、そしてそのほかに閣外大臣がおり、その下に政務次官が置かれている。与党所属の庶民院議員のうち約100名が行政府に籍を置くこととなるといわれ、与党と内閣とは一体的で一元化されている。日本では内閣総理大臣その他の国務大臣は議席の有無に関係なく議院出席の権利義務が定められている(日本国憲法第63条)。しかし、イギリスでは庶民院所属の閣僚は貴族院での審議に参加できず、反対に貴族院所属の閣僚は庶民院での審議に参加できないとされ、他院ではその院に属する閣外大臣や政務次官が審議に応じる形をとる。官僚は政治的中立性の原則の下で選挙によって成立した政権に忠誠を尽くすとともに、指揮関係を乱すことのないよう議員であっても大臣ではない者との接触は忌避されるという。国会は貴族院と庶民院からなる二院制をとっている。しかし、実際には「庶民院の優越」が確立しているため、国民の代表である庶民院がほぼすべてのことを決定できるようになっており、上院は形式的な存在に過ぎなくなっている。そのため、イギリスの場合、実質的には一院制に近い。行政府の長である連邦首相は、連邦議会議員から選出され、内閣を組閣する議院内閣制を採っている。内閣は連邦政府と呼ばれる。連邦首相の任期は4年である。元首である連邦大統領は、基本的に象徴的・儀礼的な権限しか持っていない。内閣の不信任案および連邦議会の解散については、短期政権となるのを防ぐため「建設的不信任制」という制度を採用している。「建設的不信任制」は憲法に当たるドイツ連邦共和国基本法で定められているもので、この制度の下では、ドイツ連邦議会は次の連邦首相候補を選出した後にしか内閣不信任案を提出できない。逆に首相の信任決議が否決された時以外、内閣は連邦議会を解散できない。次の連邦首相を決めるとなると、連立政権で首相や副首相などのポストで様々な思惑がでてくるため、連邦首相の不信任は困難なこととなっており、1949年から2013年までの間に「建設的不信任」が可決されたのは、1982年にヘルムート・シュミット政権が倒されたときの1回のみである。「建設的不信任制」はヴァイマル共和政時代に倒閣だけを目的とした内閣不信任が乱発された結果、後継首相も決まらず、政治が安定せず、ナチスの台頭を許してしまったことへの反省によるものである。また、建設的不信任と、基本的に議会の解散がないこともあり、長期安定政権を生み出しやすい。スウェーデンは、代表制議会民主主義の国で、その立法機関は国会である。スウェーデン国会は、4年に1度選挙が行われる。行政府の長である総理大臣は、国会議員から選出され、内閣を組閣する議院内閣制を採っている。国会は一院制で、議席は349議席。選挙制度は完全な比例代表制度であり、選挙の得票数により、各政党に議席が振り分けられる。小政党の乱立を防止する観点から、政党が 1 議席を獲得するためには、少なくとも総投票数の4%を獲得することが必要とされる。英国に次いで長い議会政治の歴史を有するスウェーデンでは、1866 年以降、地方議会の間接選挙を基盤とする第一院及び直接選挙を基盤とする第二院から構成される二院制が採用されていたが、1971 年に、一院制に移行した。この背景には、貴族制(イギリス型)もなくなり、連邦国家(ドイツ型)でもないスウェーデンにおいて、多額の経費がかかる二院制を維持する理由はないとする合理主義の思想があると考えられている。また、一院制への移行に伴い、議員総数も削減された。大日本帝国憲法においては、各大臣は天皇に責任を負う体制であり、憲法上は議院内閣制ではなかった。ただし、大正デモクラシーの流れを受け、政党政治が活発となり、一時は憲政の常道として、慣行的に議院内閣制が行われた。以下の条文から日本国憲法は議院内閣制を採用しているものと理解されている。なお、日本国憲法は議院内閣制を採用したものではないとする少数説もある。小嶋和司の主張のように、首相が国会の指名によって定まること(日本国憲法第67条)及び衆議院議員総選挙後に初めて国会の召集があったときは内閣は総辞職しなければならないとされている点(日本国憲法第70条)から、日本国憲法の議院内閣制は伝統的なものとはいえずむしろ議会支配制(議会統治制)の原理を浸透させたものであるとする見解もある。日本の内閣制度は官僚内閣制と表現されることがある。議院内閣制の下では国民(有権者)→議会(議院)→内閣(首相・大臣)→行政各部(官僚)という権限の委任と監督の連鎖が本来生じるはずであるが、日本の内閣制度の基本的特徴はこの権限委任の連鎖が首相以降の部分で断ち切られていることにあるとされる。内閣の意思決定は全会一致を基本原則とするが、各省庁は高い自律性を持つ官僚集団であり、大臣は各省庁の代表者としてその意思を代弁する者となってしまい、また、個々の政策決定には官僚の同意を必要とし、内閣の意思決定のためには省庁の官僚間での調整が必要とされることとなり、首相が積極的に政策形成や意思決定、政策転換を行うことは困難となるという指摘がある。歴史的には日本では戦前から超然主義の下で権力分立の原理を意図的に持ち込み政党政治勢力を行政権から排除する運用がなされてきたとの指摘がある。英国では与党と内閣は一体的で一元化されているのに対し、日本では与党が内閣に並立的に存在し、政務は首相以下の閣僚など、党務は幹事長以下の党役員が担い、個々の法案成立には与党による事前審査手続が必要とされてきた。政府と与党の権力の二重構造とも表現され、このような構造は政治過程を不透明で解りにくいものにするとの指摘がある。事前審査制は1970年代に定着した日本独特の慣行で、官僚が法案を説明し、与党議員は必要であれば直接政府側に修正を要求しうるとするものであるが、政党全体としての自律的意思形成能力の向上を妨げる、政官関係の固定化、国会での論戦を著しく制約するといった弊害が指摘される。日本においては、衆議院の優越の関係から衆議院の多数派の支持を得た者が最終的に首相に指名され、また、衆議院のみが内閣不信任を決議でき(参議院は政治的意味を有するにとどまる問責決議のみ)、一方、内閣は衆議院のみ解散できる(参議院は解散できない)。このようなことから日本において実質的に議院内閣制の関係が成立しているのは内閣と衆議院の間だけで、内閣と参議院の間ではこのような関係が成立していないとの指摘がある。問題とされるのは衆議院の多数派を形成して内閣を組織している政権党が参議院での多数を失っている場合に立法活動が滞るという点である(ねじれ国会も参照)。その原因としては日本では議院内閣制を採用するにしては上院(参議院)が強すぎるという問題があるとされる>。憲法上、法律案については参議院の支持を得られなければ、衆議院は3分の2で再可決して成立させることができると衆議院の優越について定めてはいるが、この要件を満たすことは非常に難しく容易でない。また、このような制度上の特質は内閣の存立が参議院選挙の結果にも左右されることとなり、現行憲法下では衆参の国政選挙がおよそ1年6か月ごとと頻繁に行われており安定政権の不存在の要因となっているとの指摘がある。議院内閣制をとるヨーロッパの国々では下院の任期は4年以上で、上下両院では選出方法が大きく異なり、上院での選挙結果が内閣の存立を左右することはないとされる。かつて参議院は衆議院のカーボンコピーと揶揄されたが、1989年の参議院選挙以降、与野党間の差は縮まり、連立内閣の組織や重要法案の成否などの点において参議院は影響力を高めている。参議院議員には首相の解散権が及ばないため直接的にけん制する手段はない。そのため、衆参で「ねじれ」が生じて参議院が法案を支持しないとみられる場合に、首相が衆議院で法案を再議決できるだけの多数を得るため、あるいは参議院の翻意を促すために衆議院の解散が行われることもある(例として郵政解散)。議院内閣制の下では国民(有権者)→議会(議院)→内閣(首相・大臣)→行政各部(官僚)という権限の委任と監督の連鎖を生じる。しかし、日本の参議院における民意の反映の仕方は内閣統治に必要な権力の融合を難しくしているとの指摘がある。そこで参議院の内閣総理大臣の指名を削除するなど一院制的なものに編成を改め、衆議院総選挙を実質的な首相選出の選挙として直結させ、首相の地位(民主的正当性)を高めるなど政府・首相と国民との関係を明確なものにすべきとの意見もある。2000年4月にまとめられた参議院議長の私的諮問機関である参院の将来像を考える有識者懇談会の意見書では、衆参の役割分担を明確にすべきとし、衆議院での再議決要件を3分の2以上から過半数に改める、参議院の内閣総理大臣指名の権限を廃止する、参議院からの閣僚就任を自粛する等の内容が盛り込まれたが、このような改革論には参議院側からの強い反発がある。
出典:wikipedia
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