与那原町(よなばるちょう)は、沖縄県本島南部、島尻郡に属する町である。町のキャッチフレーズは「太陽とみどり伝統とやさしさを未来へつなぐ海辺のまち」である。与那原は琉球方言ではユナバルと発音する。沖縄県の県庁所在地である那覇市から東へ約9km、沖縄本島南部の東海岸に位置し、中城湾(日本語:ナカグスクワン、沖縄方言:チュウジョウワン)に面している。面積は5.02km²で、沖縄本島で最も、沖縄県で渡名喜村に次ぐ2番目に面積の小さい自治体である。町の東南の雨乞森(133m)(日本語:アマゴイモリ、沖縄方言:アマゴイムイ)という丘陵地状の森、町の北西、西原町との境界にそびえる運玉森(158m)(日本語:ウンタマモリ、沖縄方言:ウンタマムイ)という、小高い丘上の森にだかれ前方に中城湾を望む海岸線にのびた平坦地である。運玉森に籠もった義賊、ウンタマギルーの話は沖縄で広く知られ、同名の映画作品は日本映画監督協会新人賞やベルリン国際映画祭カリガリ賞などを受賞した。第二次世界大戦までは、中城湾に面する天然の良港を有し、山原船の出入りもしていた。沖縄本島東海岸の沿岸交通の要衝、また南部(島尻)と中部(中頭)の両地方を結ぶ東海岸沿いの陸上交通の要衝であったが、第二次世界大戦後は港町としての性格が失われた。現在でも南部と中部を結ぶ東海岸沿いの陸上の交通要衝でもある。埋立地以外の同町地形・地質ともに2つに区分される。大半は第三紀島尻群の泥岩・砂岩からなる低起伏の丘陵と、中城湾に沿う狭い海岸低地からなるが、南城市大里との境界、大里城跡公園付近には島尻層群を覆う琉球石灰岩大地がある。この地質のため大半がジャーガル土壌である。その土壌はサトウキビ作にも適している。また、この泥土を利用し、同町特産の琉球焼物、赤瓦の製造が営まれている。埋め立てるまで、海岸部は中城湾の波静かなところで、さんご礁に乏しく、第二次世界大戦前までは美しい海浜の続く海水浴に適地であったが、遠浅の為、戦後からは各所で埋め立てが進行された。近年では、その遠浅を隣の西原町と埋め立て中城湾港マリンタウンプロジェクトが実行されており、新たな土地開発が進んでいる。同町に限らず沖縄本島共通し亜熱帯性気候で年間を通して温暖で四季の変化に乏しい。年平均気温は22.3度、年間降水量1688mmで、春から夏にかけて特に雨量が多いが、年によっては旱魃が起こることもある。又、夏から秋にかけては台風が襲来する。最近では、同町と西原町の沖合いに竜巻が発生報告がある。与那原町コミュニティーセンター与那原町上下水道課 与那原町立学校給食センター 与那原町と西原町、南風原町の共同で運営し、本部は南風原町に設置されている。 与那原にあるゴミ処理施設で、西原町、南城市の一部の旧佐敷町の3地区を運営する。2003年12月に旧佐敷町・旧玉城村・旧知念村と与那原町の4町村で法定協議会を設けて協議し、新市名も「東方市」(あがりかたし)に決定していたが、新市庁舎の位置で、合併前に与那原町に決めるべきだと主張する与那原町、合併後に決めるべきだと主張する3町村との間で折り合いがつかずに2004年12月に協議が決裂した。議員定数14 現議員数14 欠員0第三次産業の割合が高い。もっとも小売業が高い。サトウキビ、菊栽培、野菜栽培などが営まれているが、農地が狭い上に農業従事者の高齢化などもあり、更に生活環境の変化により遊休農地が増えているが、「特定法人貸付事業」で、企業に貸出し、遊休農地解消に努めている。琉球王朝時代までは稲作を主にしていたと、文化から見て想える。板良敷の当添漁港を中心に沖合漁業やひじき漁が行われている。ひじきは町の海岸線約3kmにわたって生息し、1年間に約50tの収穫がある。しかし漁業は小規模な運営体が多く、漁業環境も厳しい。最近ではとる漁業から育てる漁業への転換を図っている。また、ひじきは町の特産でもあり、ひじきを中心として、魚介類の新たな販売拡大に取り組んでいる。隣の中頭郡西原町と漁業従事者からなる与那原・西原漁業協同組合(与那原町板良敷)を運営している。以前は鰹の水揚げが県内3位ぐらいであった。同町は商業を中心に発展してきた歴史をもつ、現在も卸売・小売業の事務所の多数を占めているが、ほとんどが小規模店舗。そのため現在発展中のマリンタウンに新しい商業地の形成を図っている。窯業や家具・装飾品、食料品製造業の事務所も多く、中でも窯業は同町を代表する工業となっている。同町で作られた、赤瓦は首里城復元の際に使用されている。また、同町の窯業は第二次世界大戦前までは県内の生産量が県内2位を誇っていた。与那原町の他、南城市と南風原町も管轄する。与那原町と西原町、南風原町の共同で運営し、本部は南風原町に設置されている。町内の集配業務は南風原中郵便局(南風原町字兼城684-9)が担当している。 (かつては与那原電報電話局があり、与那原町・南城市・西原町を管轄していた)市内局番は3桁化後、9から始まっていたが、1990年代後半から8から始まる市内局番も出てきている。同町には都市ガスが整備されていないのでプロパン形式を取っている。 与那原にあるゴミ処理施設で、西原町、南城市の一部の旧佐敷町の3地区を運営する。町内には鉄道・軌道はない。最も町内から近い駅は沖縄都市モノレール線の壺川駅である。大正時代初期に沖縄県営鉄道与那原線と沖縄軌道が開業したが、いずれも太平洋戦争末期に休止され、戦後に復活することなく消滅している。那覇市や周辺市町村との交通手段として路線バスが運行されている。町内を通るのは以下の8系統。このうち36・39・41番は沖縄バス、30・37・38・91・191番は東陽バスが運行する。国道329号・国道331号を通る系統、国道329号を通る系統、県道77号・国道331号を通る系統があり、町内を通る全系統が町中心部(与那原交差点近く)の与那原バス停に停車する。なお、東陽バスはマリンタウンに乗り入れる路線を運行していたが、2014年9月1日に全廃された。琉球語で「ユナバル」。与那原の「ヨナ」は海岸のサンゴ砂(沖縄方言でユニ・ヨナあるいはユナ)による。「ハル」は開拓地という意味。「おもろそうし」には「よなはる」や「よなはら」とみえる。大里間切の時の与那原村による。
出典:wikipedia
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