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トンブクトゥ

トンブクトゥ()は、西アフリカのマリ共和国内のニジェール川の中流域、川の湾曲部に位置する。砂漠の民トゥアレグ族の都市である。ティンブクトゥ(Timbuktu)とも呼ばれる。マリ帝国、ソンガイ帝国時代に繁栄し西欧では「黄金郷」として知られるほどであった。アラブ・ムスリムの学者たちも往来し学問研究も盛んであったが、16世紀以降は次第に衰退する。古代より長らく、サハラ砂漠を越えたアフリカ内陸の黒人と北アフリカからやってくるベルベル人やムスリムの商人が出会う交易拠点であって、間接的にはヨーロッパから来る商人ともつながっていたことから、この都市にまつわるさまざまな伝説や物語が伝えられた。それらの多くは、到達することの困難さに由来するものであり、ティンブクトゥという言葉は、「異国」や「遠い土地」の比喩として使われるようにもなった。トンブクトゥは、遊牧民トゥアレグ族の特定の季節だけの野営地が起源であるが、その後、金や象牙、奴隷、塩などの交易品が行き来するサハラ砂漠の通商路において重要な中継地として都市へ成長し、この地に興隆したガーナ王国、マリ帝国、ソンガイ帝国を通じて莫大な富が集まる重要都市となった。ただし、砂漠地帯のオアシスに立地していたため、多くの人口を許容できるだけの食料や生活上の資材を確保することが困難であった。そのため、トンブクトゥに物資を供給するための都市網が後背地に発展していくことになった。1500年代初頭、トンブクトゥの繁栄は頂点を迎え、その途方もない富の物語や伝説が伝えられたことを動機として、多くのヨーロッパ人がアフリカへの探検に向かうこととなった。16世紀の旅行家・地理学者であるレオ・アフリカヌスが、1512年に繁栄の絶頂にあったソンガイ帝国を訪れて次のような記述を残している。しかし、ポルトガルや他のヨーロッパ諸国から来た探険家や奴隷商人が海路から西アフリカに上陸し、サハラ砂漠を経由しない通商路を開拓するに至って、トンブクトゥは衰退を始めた。さらに1591年にはモロッコ人のスルタンに仕えていたムーア人の傭兵集団に占領されたことが、それに拍車をかけた。後に彼らの子孫は現地の黒人と混合した。1828年にようやくこの町を訪れ生還した初めてのヨーロッパ人である探検家ルネ・カイエは、荒廃した泥の町と報告している。その後、キリスト教徒の伝道者が訪れている。サグラダ・ファミリアを設計したアントニ・ガウディは、この地の泥土で建てられたモスクの様式に啓発されたと言われている。モスクや聖廟を含むトンブクトゥの歴史地区は、1988年、世界遺産(文化遺産)に登録された。2012年、アンサル・ディーンによって聖廟が破壊された。ユネスコは数か月のうちに世界遺産の危機を訴え修復活動に着手し、地元職人の手によって聖廟は復元された。かつては10万人以上の人口を数えたトンブクトゥも、交易形態の変化や衰退により2000年代には5万人あまりに減少。かつての規模から比べれば、少し大きな村といった規模となった。ただし、現在も砂漠地帯の中の物資の集散地点であることは変わらず、岩塩や手工芸品などの取引が行われている。市内は日干し煉瓦で出来た家々が並び、ひどい貧困に見舞われている状況にある。また、周囲の砂漠化が進行し、町が砂漠に埋もれる危険性も指摘されている。近年、周辺が世界遺産に登録されたこと、パリ・ダカール・ラリーの通過地になっていたこと(開催年によってはコースから外れることもあり)から、次第に知名度が高まり、観光客も増えつつあるが、インフラは依然として整っておらず、ホテルのキャパシティも小さい。イスラム系武装組織が街を占拠すると、組織が自家発電により電気と水を供給するようになったが、後述するフランス空軍の空爆により組織が撤退すると電気と水の供給が停止した。2012年4月1日、トゥアレグ人によるが市域を掌握したと発表した。4月6日にマリ反政府勢力(MNLA)が一方的に独立宣言したアザワド(国際的に未承認)に含まれていたが、アザワドは同年6月中にイスラム武装勢力同士の対立で事実上崩壊した。マリ北部を制圧したアル=カーイダ系の武装組織「イスラーム・マグリブ諸国のアル=カーイダ(AQIM)」が、トンブクトゥの聖墓を破壊したと2012年5月5日、明らかにした。こうした状況を踏まえ、2012年の第36回世界遺産委員会において、世界遺産「トンブクトゥ」はアスキアの墓とともに、危機にさらされている世界遺産(危機遺産)リストに登録された。2012年6月30日に西アフリカ・マリの北部を支配しているイスラーム主義組織「アンサール・アッ=ディーン」が、世界遺産都市トンブクトゥでイスラーム指導者の聖廟を破壊した(詳細は#イスラム過激派による聖廟の破壊節を参照のこと)。AQIMは、リビアのカダフィ大佐がトンブクトゥに所有していた住居を占拠。マリ北部における活動拠点の一つとしていたが、2013年1月20日、フランス空軍の空爆により破壊されたことから、1月24日までにトンブクトゥから撤退している。1月28日にはフランス軍とマリ軍が市内に進駐。翌日には、イスラム武装勢力を支持していた商店に対し、地域住民による襲撃、略奪が発生した。2月2日には、フランスのフランソワ・オランド大統領が市内を訪問し、市民から歓迎を受けている。

出典:wikipedia

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