桜洞城(さくらぼらじょう)は飛騨国(現:岐阜県下呂市)にかつて存在した日本の城。一般には『飛州志』の記述から戦国大名の三木直頼が築城したとされるが、異説として城址を調査した角竹喜登は、『岐阜県史蹟名勝天然記念物調査報告書』第六輯において、直頼の祖父久頼依頼の居城で、直頼・良頼の頃に完備したとした。飛騨を支配した三木自綱が天正7年(1579年)に松倉城を築城して居城を移すまでの間、三木家の居城だった。以後は松倉城の支城となって自綱の子信綱が城主となったが、信綱は謀反の疑いで松倉城にて誘殺された。以後の城主は不明であるが、冬の拠点として用いられて冬城とも呼ばれ、天正13年(1585年)に金森長近に攻められ落城。萩原諏訪城が築かれると廃城になった。『飛州志』所載の城図によれば、かつては東西144メートル、南北180メートルの規模で、周囲を空堀に囲まれ、北と東にはさらに二重の空堀が存在した。現在はJR高山本線の線路が跡地を通り、土塁の痕跡などがわずかに残る。城跡は下呂市の指定史跡となっている。アクセスは飛騨萩原駅から徒歩で約20分。
出典:wikipedia
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