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円楽一門会

円楽一門会(えんらくいちもんかい)は、5代目三遊亭圓楽とその弟子による落語家団体。前身は1980年2月1日に5代目圓楽が一門弟子と共に設立した「大日本落語すみれ会」。1978年の落語協会分裂騒動で5代目圓楽が師匠6代目三遊亭圓生と共に落語三遊協会を創設するも、翌1979年に圓生の死去により解散。6代目三遊亭圓生の直弟子たち(5代目圓楽を除く)は圓生未亡人や遺族の仲介で落語協会に復帰するが、5代目圓楽一門のみは復帰せず、単独で「大日本落語すみれ会」を結成した。落語三遊協会解散時の落語家のうち約半数が「すみれ会」に参加したことになるが、組織的な繋がりはない。1985年に「落語円楽党」と改名、1990年からは「円楽一門会」と称している。浅草演芸ホール、鈴本演芸場、新宿末廣亭、池袋演芸場の寄席での定席を持つことが出来ない替わりに永谷商事が所有する、お江戸両国亭で毎月1~15日、「両国寄席」として一門の落語会を行っている。2015年現在5大落語家団体の中で唯一女流落語家が存在しない団体である。2007年、5代目圓楽は高座を引退表明。このため、5代目圓楽は最高顧問となり、総領弟子・鳳楽が会長に就任し、これに「一門の幹部」として、好楽・圓橘・楽太郎(6代目円楽)を加えた4人による事実上の集団指導体制へ移行した。ただし、5代目圓楽自身は完全に落語界から消えたわけではなく、その後も癌などを患いながら後進の指導を主な活動とし、なおも影響力を保持していた。しかし、肺癌・脳梗塞が再発し、最後の弟子である王楽の真打昇進から1カ月も経たない2009年10月29日に死去した。円楽一門会は、5代目圓楽と同様に落語協会から飛び出した7代目立川談志が率いる落語立川流と同様、中心人物である5代目圓楽の知名度とカリスマ性によって団体が維持されてきた面は否定できず、5代目圓楽が倒れた際には芸能マスコミなどで団体の存続について少なからぬ噂が飛び交うなどということも見られ、今後の方向性に注目が集まっている。2009年11月21日に東京會舘で行われた5代目圓楽の「お別れの会」の席で、従来からの「円楽一門会」を、「五代目圓楽一門会」(会長・三遊亭鳳楽)とする方向でいることが明らかになった。2010年3月には、楽太郎の6代目円楽の襲名披露興行が桂歌丸会長率いる落語芸術協会の協力を得て、定席である新宿末廣亭などで行われ、6代目円楽のほか、鳳楽・好楽・圓橘などが出演した。同年10月28日の5代目圓楽一周忌において、6代目円楽から歌丸に対して円楽一門会の落語芸術協会への合流の申し入れがされたが、芸協内では根強い反対意見もあり、2011年6月の総会でも賛成派は歌丸と三遊亭小遊三だけであったため、否決された。一門の弟子の高座名の傾向として、5代目圓楽と6代目圓楽(楽太郎が2010年3月1日に襲名、本人が<円>の字で通すとしている)は「楽」の文字(5代目系統では圓橘・圓福など、6代目の子息・一太郎は本名そのものといった例外がある)、鳳楽は「鳳」の文字(例外として、惣領弟子は、鳳楽自身の前名と同じ「楽松」)、好楽は「好」の文字(例外として、とむは本名のかな表記、元漫談家の西村はそのまま三遊亭西村)、圓橘は「橘」ないしは「きつ」の文字(例外として、惣領弟子で、前師匠門下の兄弟子の子息は、前師匠の名跡・「小圓朝」を襲名している)がほぼ入っているというのが挙げられる。香盤順

出典:wikipedia

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